人生51年目に初めて抱いた母に対する感情
日本に帰省してから間も無く、なんだかとても不思議なことがわたしに起こりました。
草引きに疲れて寝落ちしていた母に、「ご飯食べる?」と聞いたら、
「あ、寝てもとった。」とすぐに起き上がる母。
その時、私の前には、小さな女の子がいました。
幼いときの母の姿が見えたのです。
それはとても不思議な感覚で、初めてそのようなことを感じました。
夕方にも、また外に出て、種を植えたりしている母を見て、頑張ってるなぁと感じ、とてもいとおしく感じました。
このように感じた事は、本当に生まれてこの方50年の中で初めてでした。
そのせいか、私は自分が感じていることに驚きさえ感じていたのでした。
実は、この時より5日ほど前の投稿で母との関係性に取り組みたいことを書いていました。
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私と母の間には長い戦いの歴史があり、何度も親子の縁を切ろうとしたことがあります。
5歳の頃には、ここでは書けないようなことも仕出かす寸前まで行っていました。
私は万年反抗期状態を持ちながら、50まで年を重ねていたのです。
自分を正義の味方やヒーローとでも思っているのか、
自分を自慢ばかりする母。
しかも、地域では知らない人はいないほどの誰もが先生と崇める権威者。
母が持つ価値観を押し付けられ、「先生の娘さん」というタイトルで苦しんできた私。
その苦しさをずーーーーーーっと引きずってきた50年の月日の間、
私は何度と母から身を離す決断をしてきました。
いわゆる【距離を置く】ということです。
しかし、どこへ行ってもその呪いのような母像は私に付き纏い、私を苦しめました。
私が何をする時にもごちゃごちゃと囁いてくるのです。そして、母の反応が気になって仕方ないのです。母の反応を気にしたくないと思っても、最終的に必ずその方向に私の意識は向かっていました。
今、思えば、若い私は色んなバージョンの人間になってみようと試していたのも、母から完全に見放され、自立したいと思っていたからではないかと思います。
どんな人格が上手く行く(=見放される=嫌われる=縁を切られる)のか?
あるときは、全く言うことを聞かないロクデナシのヒッピー
あるときは、上から目線で厳しくジャッジし権威を振るう人物
あるときは、シレーっとした無口な無機質人間
どれを演じても上手く行くはずはなく、
演じ疲れて、またやられた〜と時代劇役者のように無残に倒れていた私🤣🤣🤣
しかしながら、30代に入ってからは母との関係性をこのまま置いておいても、双方にとってあるべき姿ではないと思い、関係性を改善しようと、心理系のワークもいろいろと試してみました。
が、その努力も悲しいか、強靭な母像は依然と立ち尽くしていたのでした。
そう、ラスボスなのかもしれません。(隠れボスがいないことを祈ってw)
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そして帰省中のその日以来、私たちの関係は変わりました。
どれくらい変わったか?
それは、色んな質問を自分に問いかけてみないとわからないのですが、少なくとも私の母に対する受け止め方が大きく変わりました。
今更、言葉で表現すると超フツーで当たり前のことなのですが、
「お母さんも人間で色んな苦労や思いをしてきたんだなぁ」
という感じが一番適切に私が感じたことを伝えています。
それにしてもフツー過ぎて、悔しい!w
おそらく母の人間性を別の角度から垣間見たことにより、自分自身が母に対する受け止め方が変わったこと自体が、自分史最大の出来事であるかもしれません。
また、今までやってきた心理ワークに頼り過ぎていることがあり、AHAのカードワークで自分の潜在意識をポーンと顕在化したことが最後の砦を崩した(と信じたい(笑)のかも知れません。
なにせこの人生50年の中で、彼女の声が付き纏わないことはなく、
母が私の頭の中に住んでいた状態だったと表現するのが一番適切でした。
今、この文章を打ちつつも、以前なら「住んでいた」状態をイヤだけど認めていたのに、今は「住んでいない」ことが明白にわかるのです。
もちろん、母との思い出はたくさんあるし、彼女の口癖もたくさん私の中にあることは今でも確かです。
しかし、以前とはぜんぜん感覚が違うのです。
それと共に、今まで感じられなかった母への愛が服を脱いで登場してきた感覚です💖
この些細な日常の場面がここまで私に気づきを与え、認識を変えてくれるのか!ということに、とても感謝しています。
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最後に、これを読んでくださっているあなたへ。
もしあなたとお母様の関係を改善することに取り組んでいて、上手く行っていないなら、その想いが満期になるときがあると信じて、自然の采配に身を委ねてみてはいかがでしょうか?
きっとベストなタイミングでそれはやってくるでしょう✨