「人の悪口は言ってはいけません」
竹を斜めに切った「竹ぼんぼり」発祥とされる大分県臼杵市。この地で毎年11月の第一土曜と日曜、「うすき竹宵(以下、竹宵)」が開催されている。臼杵城そびえる城下町全体が種々の竹のあかりで彩られる祭りで、今年は23回目となる。人口4万人に満たない臼杵市に8万人もの観光客が押し寄せる、市を上げての一大行事だ。今年も11月2日と3日の2日間開催され、「ちかけん」の池田親生はメイン会場のひとつである「多福寺」の演出を行った。
「ちかけん」は学生時代から、この「竹宵」に関わってきた。恩師である内丸恵一先生(崇城大学 工学部建築学科)はこのまつりを手塩にかけて育ててきた一人。先生は「まつり型まちづくり」という手法を提唱している。これは、住民たちがまつりを通してまちに関わり、これまで見過ごしていたまちの魅力や問題点を体感していくといった手法だ。
臼杵市では「竹宵」の成長と共に、会場となる城下町がより改善されてきた実績がある。今では「竹宵」が住民たちの生活に浸透し、お盆や正月のように「竹宵」に合わせて県外から帰省する人も多いという。
「竹宵」初日の11月2日、関係者を中心とした懇親会が開かれた。その際、締めの挨拶を内丸先生が行った。先生は初めて「竹宵」を開催したときのことをよく覚えているという。日本各地で直面している中心市街地の空洞化が問題されている中で、祭りが開催され多くの来場者たちが押し寄せ、そこかしこから「美しい……」と感嘆の声が漏れ聞こえてくる。その様子を見た先生は「何かが起きる予感がした」という。以来、先生は祭り全体の運営だけでなく、竹のあかりそのものの「芸術的価値をあげていく」ことに注力し続けてきた。
祭りが回を重ねるに従い、祭りの中心人物たちの高齢化が表面化してくる。これは避けられないことであり、試行錯誤しながら世代交代が行われてきた。だが同時に人間関係のトラブルも起こるようになり、ルールが増え、整備され、結果として運営委員たちの組織がかたく、排他的になってくる状況も散見された。
このような状況を鑑みてのことなのかは分からない。だが先生が最後に口にした「人の悪口は言ってはいけません。これだけは徹底してやってください」という言葉は「多くの関係者の胸を打ったようだった」と親生は語る。
「ちかけん」は運営側と意思疎通がうまくいかず、ここ2年ほど祭りに参加できない状況にあった。親生は回想する。「以前はより『まちを盛り上げたい』という熱意が前面にきていたように思う。その熱意に自分たちも触発されていた。だけど次第に組織が大きくなり、自分たちのように竹あかりを生業とし、全国を飛び回っているものにとっては関わりづらくなっていた。自分たちの状況を理解して欲しいとも思ったし、寂しくも感じていた。だけど今回久しぶりに参加して、紡いできた人たちのおかげで今があることが再確認できた。そして自分たちも『何のためにつくるのか』という、ものづくりの、まちづくりの原点に立ち戻れた気がする」と。
内丸先生は話しの中でまちづくりからの「引退」の言葉も口にした。そして後継を「ちかけん」に託しているとも言った。それは恩師から教え子へバトンが渡され、「時代が変わる瞬間」だと感じられた。
親生は言う。「これってものづくりの『最強の作品』だと思う。だって、こいつらなら自分の意志を引き継いで自分以上のものをつくっていってくれる、という確信がなきゃ言えないでしょう」
まちは、人の営みは世代が変わりながらも連綿と続いていく。まつりはそのひとつの装置とも言えよう。優れた先人が築いて終わりではない。「継承」こそがものづくりの、まちづくりの「最強の作品」なのかもしれない。(書き手 橋口博幸)
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