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【インド】バンガロールでの生活、本当のところ
みなさま、こんにちは。ナマスカーラ!
大変お久しぶりの投稿になってしまいました。子どもたちの夏休みで2ヶ月ほど日本に帰省しており、毎日ほぼワンオペの3人育児をヒーコラ言いながら楽しんでおりました。海に、山、川、あるいは首都東京の街でさえも景観美しく、日本は本当に恵まれた国だなあと実感しました。暑い中毎日外で遊び、日焼け止めを塗るのを何度も忘れ、こんがり焼けてインドへ帰ってきましたよ。
さて、今回は、ちょっといつもとはテイストを変えて、インドでの日々の暮らしの実状を書きたいと思います。
これまで、このnoteには、健康的で美味しいカフェやコスパの良いスパ、デリバリーですぐに調達できるオーガニック食材など、インドの比較的良い面を綴ってきました。
ですが、もちろん良い面だけではないし、むしろ嫌な思いをする事も頻繁にあります。
それを書かずして、インドでの意外な便利生活を紹介するだけでは、これからインドに来て生活する人にとって、まるで詐欺であると感じ、インド生活において困難な点も書き公開することにしました。
実のところ、1年ほど前に書いていて放置していた文章でして、敬語でなくなるのと、一部言葉も荒いところもあります。完全に個人的な経験に基づいた日記みたいな文章になってますので、不快や不要と感じた方は読み飛ばしてくださいね。
インドで生活する中でのメンタルヘルス
ここで生活していると、いろんな気持ちの浮き沈みがある。
期待しては裏切られる。
何だか調子が良い、生活がスムーズに進むと思っても、ある日突然ガタッと崩れる。
毎日を安定した精神状態で過ごすことが難しい。
心地よい生活を送るために、メイドを雇うなど、他者の力を借りているので、自分ではなく外的要因で変動があり、それに振り回される。
インフラもまだまだ発展途上であり、日本ほどのクオリティはないので、
家の中の何かがすぐ壊れたり、修理に何日も時間がかかったり。
それは水漏れであったり、シンク下の棚のドアであったり、シャワーヘッドをかけるフックであったり。
賃貸で借りている部屋の、老朽化が原因の故障は、オーナー負担で修理するのが、日本では常識であるが、ここではそんな法律はないのかと思うほど、曖昧である。
私たちのオーナーは、ちっとも誠実ではなく、まずメッセージのやりとりも失礼な物言いであるし、修理費用を負担する気などさらさらない。
あまりにも態度が横柄なので、こちら負担で修理して、後で家賃支払い分から差し引いて振り込むと、抗議の電話がかかってくる。
その仲介のためにいるような日本で言う不動産屋、ブローカーは、内見の時は嬉々として来るが、こういういざこざの時は一切顔を見せない。
なんと、この国の人間の横柄なこと。
修理も、自分で来ると言った時間には来ない、明日来ると言って来ないので連絡すると、また明日、と言われる。根本原因を直すのではなく、一時的にちょっと動けばいい、くらいの修理だから、またすぐ壊れる。(こちらでは、そういう杜撰工事ですら、ジュガールの一部と言って、逆に称賛されたりする。)
驚いたのは、以前バスルームの完全リニューアル工事が2ヶ月ほどかけて完了した後、シャワーの水を流してみれば、排水溝とは反対の方に流れていったことだ。まるでハナシにならない。
日本一時帰国から帰ってきた後は、たいてい気持ちがしばらく落ち込んでいる。
ちょっとしたことでも涙がこぼれたり、逆にちょっと友人と話しただけで元気になったり。
何となく体調も悪く、子ども3人、大人2人分の荷物、プラス、インドでの生活を健康に送るために調達した食材を詰めるパッキング作業と、長い移動時間も主たる原因だが、
日本とインドのギャップに慣れるのに体力的にも精神的にも時間を要するのだと思う。日本で普通のことが、こちらインドでは一切通用しない。
これは1年前の話だが、午後から夜8時まで来てもらっていたメイドが、
自分の家の建設工事のため、その工事を監督するものが誰もいないから、
自分が見るしかない、とのことで、私たちがインドに帰ってきてからも出勤してこなかった。
誰かが監督していないと手抜き工事されたり、工事が進まなかったりするこの国の事情も厄介で、彼女の状況も分からなくはない。だがしかし、だ。
私たちは約2ヶ月日本に一時帰国していたが、こちら都合なので、もちろんフルサラリーを支払っていた。インドへ戻る直前にメッセージしており、この日の夜に帰ってくるから、翌日から出勤してね、と送っていた。するとokay mam、という返事をもらっていたのだ。
出勤すべき当日、彼女から今日は個人的用事で出勤できない、その代わり日曜日もくるし明日からは来るから、と突然メッセージが来た。
2ヶ月弱も休日であったのに、個人的用事をどうして今日までに済ませていないのだ、と腹の中で苛立ちながら、了解、また明日、と返事を送る。
インドでは、こういう、一瞬腹の中で何かがブワッと沸騰するような、そしてその湧き起こった怒りや苛立ちをグッと堪えて抑えつけるような、そのプロセスを要する機会が、何なら日に何回か、少なくとも毎日1回くらい、頻繁にある。アンガーマネジメントとかいう言葉がちょっと前に流行ったが、そんなメソッドを実践する暇もないくらい自分の中での怒りの感情を鎮めたりコントロールしないと、ここでは穏やかに快適に生活はできない。
子どもたちの学校で、新学期スタートの手続きのために、列に並んでいた時。
スッと、後ろから来た高校生くらいの学生が、前に並んでいた友人を見つけ、その集団に紛れ込んで割り込んでくる。
ニコッと、友人に微笑みかけて、悪びれもしない。
インド、バンガロールでは最高レベルの学校に通って、高水準の教育を受けても、できあがってくる人間性の程度の低さに、私の腹の中はザワザワと一瞬沸き立つ。
空港からのUberをつかまえ自宅へ戻る帰り道。
乱暴な運転だな、とふと運転手に目をやると、彼は自分の太ももの間にスマホを置いて、時折Youtubeを観ながら運転している。
危ないからやめてくれ、と何とか冷静に声をかけるが、腹の中では沸々と煮えたぎっている。
インドにきた当初は、この怒りや苛立ちを押さえ込んでなんかいなかった。まともに反応して、怒りを相手に伝えることもあったし、泣いて夫に吐き出したり、イライラをひきずって、自分の時間を無駄にしたこともあった。
しかし、経験から学んだのは、怒りに自分の感情を支配される時間は、できるだけ短くしたほうがいいということ。人生は有限であるから、さっと切り替え、できるだけ穏やかな気持ちで、限りある時間を有意義に過ごした方が良いということ。
であったので、ちょっとした苛立ちは抑えつける癖がついてしまった。
さて、これは良いのか悪いのか?良いと信じたい。
でも、私の心に、傷跡として残ってはいないのだろうか?
そして、そのメイドは、翌日になっても出勤しなかった。事情は前述の通り、自宅建設の監視である。(後でわかったことだが、すでに彼女は自宅近くで他の仕事を見つけていたようだった。)
落胆とともに、私の心は実は傷ついている。sorry mamとかメッセージで謝られたところで、許せる気もしないし、回復もしない。
彼女の事情は分かる、と何とか自分自身を納得させ、では次のメイドを探さないと、と早速次のステップに入る。
ここでも苛立ちや、悲しさを何とか誤魔化して、できるだけ早く生活を整えるため、できることをする。
また、新しい人を雇って、どうか次の人が、もうちょっとまともな人でありますように、狡猾で強欲ではありませんように、と願いながら、インタビューをして、試用期間を設け働きに来てもらう。
メイドを雇うことで自分の時間を確保し、エクササイズに読書、たまに友人とのランチなど、一見優雅に過ごさせてもらっているが、人を雇うのにはかなりのエネルギーが要る。メイド、ドライバー雇用について書いた記事で触れたが、給与交渉や前借り、ボーナス、昇給などの様々な要求をうまくかわしたりかわせなかったり、その作業が面倒な方や嫌な人は、最低限の範囲でしか雇っていなかったりする。
それでも少数は、まともな人間がいるから、
彼らの存在によって、この国で何とか生活できている。
第三子をインドで産んだ時から、お世話になっているメイドがいるが、
彼女の働きぶりにはいつでも感銘を受ける。
雇ってもうすぐ3年となるが、彼女の働きに不満を感じることがない。
こちらから頼む前に、先んじて次々と家事をこなし、子どもたちの相手もそつがなくこなす。
子どもたちのわがままにも狼狽えたり苛ついたりすることなく、適切に対処する。
私たちが日本へ一時帰国している間も、教習を受けて免許を取得し、バイクを購入していた。それまでは通勤にいつもオートリクシャかバイクタクシーを使っていたが、なかなか捕まらず待ち時間が多くなっていたり、交通費もかなりかかっていたため、この機会に自分で通える手段を得たのだ。
彼女の投資マインドにも感銘を受けた。
彼女は、1人娘を産んでまもなく、働く気がない夫に自分から見切りをつけ離婚し、娘を家族に預けオマーンに渡った。2年に1度、1ヶ月の夏休み以外は、24時間体制でオマーンの家庭に住み込みで働いており、その家庭のご飯作りや掃除、洗濯、子どもの世話など全ての家事を引き受けた。途中勤務先が変わったりもしたが、約18年間、自分の給料をインドにいる家族や娘に送金しながら住み込みメイドの仕事を続けた。コロナ禍でインドに帰国、しばらく休養していたところ、そろそろ何か職を、というところでうちに来てくれた。彼女の申し分ないエクセレントな仕事ぶりは、この18年間の経験によるものだ。
彼女のオマーンでの18年間を思うと、私の中で沸き立つ怒りなど、どうだっていいように見える。18年という長い歳月の中、彼女の、家族や娘に会えない寂しさや苦しさはいかほどであったか。どれだけ一生懸命に働いたところで、メイドという職業柄裕福に暮らせるような給料は決してもらえない。それでも、娘を育てるために歯を食いしばって働いてきた彼女の努力。家族に会える2年に1回の帰省を、どれほど心待ちにして待ち続けたか。
また、彼女は今年2月、末の弟を心筋梗塞で亡くしてしまった。一体どれだけの試練が彼女の人生に降りかかるのかと、本当に胸が痛いが、2ヶ月ほど落ち込んでいた彼女も、少しずつ元気を取り戻してうちの子どもに接してくれている。そんな彼女の心の強さを褒め称えるように、彼女の娘が妊娠し、今年10月におばあちゃんになる。仕事にはしばらく来れなくなるだろうが、彼女が大きな喜びを心から楽しむ時間を思うと、こちらもできるだけ支えたいと思ってしまう。
恵まれて育った私のカルチャーギャップによる怒りなど、まるで思春期での親に対する幼稚な抵抗かのように思えるほど、どうでも良くなってくる。
だからと言って、インドでの生活をスタートさせた皆さんの、慣れるまでに起こりうる様々な怒りや多大なストレスを否定する気は一切ない。
むしろ、達観して初めからこちらでの生活を楽しんでいる人より、戸惑い傷つきながら怒り葛藤している人の方が、その繊細さや素直さに人間的な魅力を感じる。
しかしながら、もしも今、こちらで生活する中で怒りに震えていたり、寂しさに押しつぶされそうになったり、何もかもどうでも良くなってしまったりしているなら。
あなたの周りのインド人がどんな人生を歩んできたか、これほど多くの人間がいて、格差もはっきり現れていて、話す言葉も人それぞれ、宗教もそれぞれ違い、食べるものも違う彼らの人生が一体どんなものなのかに思いを馳せるのはどうだろうか。比較して私の方がマシだ、とかいう話ではない。
こんなところで立ち止まってはいられない、というエネルギーが湧いて来ないか、という話。私がこの世界に何ができるのか、今私が何を優先して頑張って取り組まないといけないのか?
感情が沈むのもインドによるかもしれないが、活力をもらえるのもまたインドだ。
この長いつらつらとした拙い文章を読んでくださった方いましたら、本当にありがとうございます。
どこかの誰かにとって、少しでも力になれたら大きな喜びです。
インドで生活すると色々ありますが、私はこんな風にメンタルを元気に保っています。そして日本から帰ってしばらくすると、心も身体も回復、何があっても絶好調(言い過ぎか?)。
それでは、また。
今度はもう少し役に立ちそうな記事が書けますように。笑