見出し画像

そのひと粒が落ちるまで

「好きな人ができたの。」


それだけ言った。
嘘はついてない。
だって毎日あなたを好きになっているから。
ぼんやり続くだけの気持ちとは違う。
毎日、毎日、あなたにまた恋をする。

でも、もうそれは赦されない。
この気持ちは棄てないといけない。
棄てられなくても、隠し通さないといけない。
あなたから離れなくてはいけない。
あなたのことが、どうしようもなく好きだから。



本当の理由には気付かないで。

気付いて、それでもそばにいると言って。

私のことを恨んでいい。憎んでもいい。

そんなの嫌。ずっと好きでいてほしい。



相反する想いが交差する。
覚悟は決めたはずだったのに、心の中は何一つ整理できていない。
会って話したら私はきっと泣いてしまうから。
LINEで一言だけ、一番シンプルな言葉で告げた。
あなたはどう思うんだろう。
もしかしたらまた、泣かせてしまうのかもしれない。

それでも。
それでも、私のそばにいるほうが辛い思いをさせてしまうから。

ごめんね、と小さく呟く。
私の声は、あなたに届きはしないのに。
頬をつたる涙とともに、私の意識は闇へ落ちた。



白い天井が目に飛び込んでくる。
あぁ、また倒れてしまった。


少し前まで、こんなことになるなんて思いもしなかった。
あなたのそばでずっと生きていくのだと思っていた。

あともう数年くらい付き合って。
あるとき不器用なあなたはきっとそれでも一生懸命プロポーズをしてくれて。
それに私は笑顔で頷く。
お父さんもお母さんも、あなたならきっと大歓迎だよ。

みんなに祝福されて結婚式を挙げて。
新婚旅行は海の見えるところがいいな。
ときどき喧嘩もするけど、それでも話しあって、歩み寄って、また笑いあって。
そのうち子供もできて、家族みんなでずっと幸せに暮らすの。


そんな未来を夢見ていたのに。

もう、叶わない。
そう思うと悲しくて仕方がなかった。


先生は言った。
あと半年、と。
砂時計の砂が刻一刻と落ちていくように。
私の時間も少しずつ、でも確実に減り続けている。
私は砂時計を嫌いになった。
こうなる前は好きだったはずなのに。
部屋に一つ置いた紅い砂の砂時計。
あなたからのなんでもない日の贈り物。
美しく見えたはずのそれも、今や自分の命が蝕まれるように感じてしまう。
でもどうしても、捨てることはできなかった。



あるとき、不思議な夢を見た。
真っ白な空間。
少し遠くに、あなたの背中が見えた。
あなたは何かを見つめているようで、私には気が付かなかった。
新しい、好きな人でもできたかな。
ほっとしたような、悲しいような、不思議な気持ちだった。


その数日後のことだった。
ぼんやりする意識の中、それでも家族に囲まれていることはわかる。
みんなは笑っているのかな。泣いているのかな。もしかして怒っているかな。みんなより先に、私が逝くのだから。
もうそろそろ、砂が落ちきる。
なんとなく、そうわかった。
やっぱり、最期にあなたの顔を見たかったな…


なんてね。

だけど、どうか最後まで。
最後のひと粒が落ちるまで。
あなたを想うことだけは許してほしいな。

幸せに、生きて。
私の願いは、それだけ。
さよなら。
ありがとう…



窓際に、一つ置かれた紅い砂の砂時計。
誰も触れていないはずのそれの砂がゆっくりと流れている。

最後のひと粒が落ちていく。


この瞬間、その紅は色を失った。

いいなと思ったら応援しよう!