I am [ヒトのナナメウエをいきたい人]
わたしは「ヒトのナナメウエをいきたい人」であると思った理由を以下に記す。
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それは、I am ["わたしらしさ"を愛す人]を綴った時に感じたことである。
「自分らしさ」という言葉をよく考えてみると、「自分らしさ」とは「普通/一般的/通常ではないこと」であり、「自分の中の”異常さ”」を指す。
つまり、私はわたしの中の「異常さ」を愛し、そこに価値を感じている。
けど、ただ単に「異常で在りたい」と思っているわけでもない。
だって「ヒトに認められたい」と少なからず思うのは私も含めた世の常。「通常」とかけ離れて、周りに「気持ち悪い」や「理解できない」って思われるのは嫌だ。ちゃんとそこには賞賛があってほしい。けど、「どこか''普通の人''とは異なる、特別な存在だと思われたい」なんていうわがまま。
つまり、私の本望は「おまえおもしろい奴だな」と言われることである。
つまりつまり、「ヒトの考えつかないところで、人を喜ばせたい」という欲求があり、
つまるところ、
私は「ヒトの期待通りに動くこと」がおもしろくない、つまらない、嫌いだと思っているのであって
「ヒトの期待をいい意味で裏切ること」
もう少しイメージしやすい言葉にすると
「ヒトのナナメウエをいくこと」が好きなのだということに気づく。
そうすることで、周りに価値ある「自分らしさ」を表現でき、私の承認欲求も満たされる。
ナナメウエを好むわたし。
どおりで「へそまがり」と言われるわけだ。
けど、「ナナメウエ」こそ、AIにできないこと=人間だからできることであり、今の時代に求められることであり、ヒトに感動をもたらすものなのでは?
なんて。
〘2020年の企み no.1 〙
「ナナメウエ」を提供する組織で「ナナメウエ」の考え方を真似して、学ぶ。