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嫉妬のライセンス


私が嫉妬業務を遂行するに際し、大体の場合に置いて無免許、無許可、無資格にて行っております。 お構い無しです。
いや、お構いは有りますが止められるものではありません。


そもそも嫉妬のライセンスを取得することが出来るのは、一体どう言う場合なのでしょうか?


相手と同じ土俵に立った上で、乗り越えられない差を感じる時。
この場合、しっかり相手と同じ土俵で戦っていると言う事が決め手となり、普通免許が交付されます。

又、正式に交際や婚姻をしている相手が自分以外の人間に対して好意の様なものを示した時。
この場合、正式なパートナーであると言うことが決め手となり、やはり普通免許が交付されます。

実は、嫉妬普通免許が交付される事例はあまり多くはありません。

したがって、浮世で行われる大体の嫉妬業務においては、そのほとんどが無免許無資格で行われていると言うのが現実です。
まさに無政府状態。
市民は既に蜂起しており、そのアナーキーな実態が浮き彫りとなっています。
当局はもはや機能していないと考えて間違い無いでしょう。
クーデターは既に始まっているのです。

ちなみに私個人の事で言いますと、ヤキモチを含めた、嫉妬、ジェラシーの類は、日常的に触れている大変身近な事象となりますので、必然的に看過出来ない問題となります。これを無免許、無資格にて行って居ると公言するのですから、お上に知れたら大変なことになります。

小さなヤキモチから、大罪級の深い嫉妬まで、その種類は多種多様で尽きる事がありません。
そして嫉妬業務遂行中は、身も心も囚われて大変に不自由で不健康な状態に置かれます。胸が苦しくて肺や心臓の病と見まごう事例も多々報告されています。

百害あって一理無しに思える「嫉妬」と言う感情。
八百万あるエモーションのなかで一番いらない物な気がしますが、実際はどうなのでしょうか?

人は誰かに嫉妬すると、羨ましくて、妬ましくって、悔しくて、憎らしくて、悲しくて、やり切れない気持ちになります。正負で言えば負の方のエモーション。明暗で言えば暗。そんな心持ちになります。


で………それがどうしたと言うのでしょうか?

明るい感情と暗い感情は、両方あって当たり前ではないですか?
この二つのエモーションは非常に強いリレーションシップで結ばれた双子のような感情です。どのような場合でもそれは変わることはありません。それならば、ヤキモチや嫉妬なんて感じて当たり前ではないかと思うのです。
人の心模様はグラデーション。
明るい色から暗い色まで、何億通りもの色彩で描かれた絵です。
豊かな色彩の絵画を描くためには、どのような色の絵の具も必要となります。

したがって、嫉妬は肯定されるべきエモーション。感じるのは当たり前の事だと考えます。

たとえ苦しかろうが辛かろうが、嫉妬業務は心のままに行われるべきで、痛みも悲しみもすべて己の物として受け入れて行くのが自然の摂理です。
時に人を傷付けかねない危険性を含んでいるエモーションである事はしっかり理解した上で、自由に享受していきたい。
すべては自己責任に於いて。

私がこの革命後、新政府の長として皆様の前にたった暁には、必ずや嫉妬のライセンス制度を廃止し、この当たり前のエモーションを当たり前に受け入れる寛容な社会の実現を目指して邁進して行くと強く心に誓います。

ご清聴ありがとうございました。


………ついついヤキモチ妬いちゃう自分を肯定したいだけのお話だったのですが、しまいには謎の革命戦士が現れたりして収拾がつかなくなりました。ホントごめんなさい🙇‍♀️

失礼しましたー🥷ドロン











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