「言葉」という遺産
昔、とても尊敬しているGさんという人がいて、彼から「大きな夢を描いて実現する人と夢だけを見て萎んでしまう人の決定的な違いは何か知ってるか?」と聞かれたことがある。
当時、私はそんなことを考えたこともなかったので、とっさにどう答えていいのかわからずに「大きな夢ってなんですか?」と聞き返した記憶がある。アホすぎる。
Gさんは苦笑しながら「お前な、大きな夢って色々あるだろう。年収100億円を目指すとか、東京ドームでライブやりたいとか、故郷の街を開発して大都市にしたいとか、世界中の野良猫の里親を探すとか、ハゲ予防のワクチンを開発するとか、そんなこと本当にできるのかよ?って思うような夢。誰かから聞いたことあるだろう。思い出せよ」
ストライプスーツにぴっかぴっかの黒の革靴、オールバックになでつけた髪という、どこからみてもそっち系に見えるGさんは(実際は某大手企業のお偉いさん)、話し方も乱暴だ。
ああ、そういうことか。あるある。あります。
「で、ただの妄想で終わる人もいれば、本当に実現しちゃうやつもいる。その違いってなんだと思う? おまえ、わかるか?」
「…押しの強さと運…ですかね」
盛大に笑われた。鼻で笑われなかっただけまし。
笑われた理由はわからなかったが、私の答えがGさんの答えとは違うことだけはわかった。
「今の現実を嘆いているやつや文句ばっかりのやつは妄想で終わる。今の現実を受け入れているやつは夢が現実になる」Gさんはそう言った。
「ほんと、愚痴の多い人はダメですよねぇ」
その時はそう思って納得したけれど、今考えるとまったくわかっていなかった。
確かに、自分が置かれた状況に愚痴や不満ばかりの人の語る「俺はいつかビッグになるぜ!」は「俺だってその気になればやれるんだ」「俺はやる時はやる」と同じで、「その気」も「やる時」も永遠にやってこない。これは当時の私でも理解できた。
当時、私が理解していなかったのは「今の現実を受け入れているやつ」のほうである。当時、私は「不平不満は自分を律して心に封じ込め、とにかく現実起きているいやなことを我慢して努力で乗り越えている人」が「現実を受け入れてるやつ」なのだと思っていた。
いやいやいやいや、結局、口に出すか出さないかだけで、不平不満があるという点では同じやないかーいっ。よくGさんにつっこまれなかったなぁと思う(突っ込まれてたけど気がつかなかったのかもしれない)
とにかく夢が妄想に終わる人と実現する人の根本の違いがまったくわかっていなかったのだ。浅はかな私であったことよ。
被害者意識がもたらすくすぶった気持ちを紛らわす「どこかにあるユートピア」思想
不平不満とは被害者意識の表現だ。自分ばかりが損をしている。誰かの犠牲になっている。不当に扱われている。不平等である。報われない、●●してやったのに。どうせ嫌われる。どうせ認めてはもらえない…などなど、そんな気持ちがあるからこそ言いたくなるものなのだ。
そのくすぶった気持ちを紛らわすための方法が「ここではない、どこかにあるユートピア」思想だ。それが「ビックになってやる」方向に向かえば途方もなく大きな夢を語ることなる。この時のポイントは「語ることで現実を忘れたい」というところである。語っている本人もどこかで自分の語る夢を信じていない。でも、語っている間はくすぶった気持ちを忘れられるのだ。
そういう意味では、恋愛、セックス、お酒、買い物、などなどの依存と同じようなものである。
魔法が解ければ、くすぶった気持ちが迫り上がってきて耐え難いほど苦しくイライラする。だからこそ、より強い刺激が必要になる。そんな悪循環。被害者意識を紛らわそうとすればするほど被害者意識の沼にハマっていくのだ。
あの当時、Gさんが「今の現実を受け入れているやつ」と言ったのは「被害者意識を持たない人」という意味だ。
ということが理解できたのは、ずっとずっと後のことだった。それが理解できた時は、被害者意識なんて言葉はまったく知らなかったので「この状況を作り出した犯人探しはせず、起きたことはしょうがないと水に流しながら、それでも夢をあきらめず、改善点を探し出し、今やれることを淡々とやる人」と理解した。(長い)
そういう視点で見てみると、もう一つわかったことがある。「今の現実を受け入れているやつ」な人たちは、一応に「現状に幸せ」を感じているということだ。今、思った通りにならないことがあったとしても、それでも幸せで、その上で「自分にはやりたいことがあるんだぜ」と言っているということ。
「今の現実を嘆いているやつや文句ばっかりのやつは妄想で終わる。今の現実を受け入れているやつは夢が現実になる」
スルメのようにこの言葉を噛み締めて、今に至る。もしかすると、この言葉にはまだ私がキャッチしきれていない「うまみ」があるのかもしれない。なんにせよ、この考察にゴールはないのだ。一生かけてひとつひとつうまみを感じては、また考察を繰り返していく
このスルメを与えてくれたGさんはもうこの世にはいない。この言葉はGさんからもらった遺産だと思っている。