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「わからない」という余白
私は編集時代、そして今の仕事を通して「この人が本当にいいたいことは何か?」とか「この話の本質とは何か?」とか、そういうことを考える機会が多いほうだと思う。
だけれども、わからないことのほうが圧倒的に多い。たぶん1日の中の大半を「わからないなぁ」と思って生きている。この「わからないなぁ」には「知識や情報が足りなくてわからない」こともあれば、自分とは考え方や受け止め方が違いすぎていて「わからないなぁ」もあるし、何がどうなってるのか皆目お手上げの「え?何?どうしてそうなった?マジわからん」もある。
「わからない」にもさまざまなあって、これらのわからないのために学んだり情報を集めたり、確認したり、質問したりする。その結果「そういうことか!その通りだね」と納得することもあれば、「私とは価値観は違うけど理解はした」と思うこともある。たいていはそんなプロセスの中で私自身の視点は広がっていく
でもね、その一方で「今、考えても結論はでないだろうな」ということについては一旦、放っておく。
今考えても結論でないだろう案件はいくつかあるけれど、そのうちのひとつが「「何のために生まれてきたのか?」。
もちろん、人生の経験値があがれば、皆目見当がつかないレベルから、自分の特性(好き嫌い、得意不得意、価値観などなど)から「ここかなぁ」という予測をつけるくらいまではいけると思う。でも、それは今の自分がそう思うことであって「すっきり解明!こういうことね」というのとは違うように思うのだ。
私がセッションで行っているスピリットエナジーリーディングでは魂の設計を見て
スピリットの特性を読み解いていく。その過程で「こういうことに躓きがちで、その躓いたことから学ぶことがこれかもしれないね」とか、今現在のスピリットの滞りをリーディングしたりするのだけれど、それすらも「何のため生まれてきたか?」という結論ではないと思っている。
だって、スピリットの設計がどうあろうとも、本人がその時々でする選択とその結果作り上げる現実によって、人生の流れは変わる。生まれてきた時に決めた学びを完結する人もいれば、取りこぼす人もいるだろう。
でもね、たとえ取りこぼしがあったとしても、そこには必ず学びがあって、学んだ結果「このために生まれたのか?」というその人でしかわからないものがあるんじゃないだろうか?(今世ではまだ死んだことがないからわからないけど)
その実感というものは、その時になってみたいとわからない。取りこぼしに対する後悔もあるかもしれない。でも、取りこぼすことを恐れるあまりに「生まれてきた理由」を求めても、その恐れの元で知った理由は認知の歪みでしかないと思うのだ。
苦しい時ほど、そうなった理由を知りたくなる。一刻も早くそこから抜け出したからだ。その焦りや執着が認知の歪みとなる。
だから、わからないままにしておくことも大事だと思うのだ。人生においては、今どれだけ考えてもわからないことがある。それを自分の伸び代だと思って、あるいは余白として残しておく。それはこれからの自分に対する期待でもあると思う
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昔、友人にこのわからいことを、わからないままに持っておくという話をしたら「ええー、そんなしんどいのやだなぁ」と言われた。
その友人の言葉を聞いて、私は「むしろわからないことがあっても生きていけるって、この世界って希望があるじゃん」と思っているのだということに気がついた。
そう、その時に「わからないことがあるからいい」と思っていたことを知った。
なぜ?
その時から何十年もたって、自分なりに理由がわかった。
私は「この世界をいいところだと信じているから」だ。
私は日本の現代社会の中で「何も持たない者」だ。
この社会で生きていく上での一般的に補償と言われるものはほとんど持ち合わせていない
さらに毎日、うきゃーとハイテンションでスキップしながら生きているわけでもない。むしろテンションはだだ低い。それでも「この世界はいいところ」と信じている
ここにいる自分を呪ってはいない
そのために、わからないことがあることすら恩恵だと感じる
だってこれからわかることが増えていくだけなのだから。
成長するしかないじゃない?(笑)
「それを自分の伸び代だと思って、あるいは余白として残しておく。それはこれからの自分に対する期待でもあると思う」
と書いたのはこんな理由からだ
世界は自分が作る
私は持たない者だけれども、私が自分の世界をこのように捉えられていることが、何よりも恵まれていると感じる。
そして、この「いいところ」に身を置くことができたことにとても感謝している