となしばブルーきいてみた
ランニングで初めて7km以上走った。膝が痛い。私は股関節が超絶硬いらしくそのツケがきてるみたい。つらい。サポーターしてるけどストレッチが足りてないんだろう。だって全然してないもんな。beforeだとそんなんしてるうちに走る気力失うのがこわいし、afterだと達成感でそんなんなってられない。だめだー
上京ボーイズが勧めていたので、隣の芝生はソーブルーを聴いてみた。子持ちの方の人の声が可愛くて、なんか友達を思い出した。声とか喋り方が可愛い人って本当羨ましい。ムカつくレベル。それ本当に素なの??て問い詰めたくなる。
産む気もないのに生理かよ(間違えてたらごめん)、名前だけ知っていたので、となしばの人が書いたんだ!!とびっくりして、西荻窪でトークイベントやるとのことだったので即申し込んでしまった。トークイベントは大好きなので楽しみ。子供産む産まない問題は私の中のパンドラの箱のひとつで、卒論にも書いたから蒸し返して考えるのも面倒すぎるのだが(語ったら半日掛かってしまう)他の人が論じてるのは見てみたいしイベントでたぶん書籍も買う。となしばの人とたぶん私考え方すごく似てると思う。
子供を産みたくないor産まない理由って、すでに産んだ人を責めるように聞こえるものもあると思うんだけど、となしばの子持ちの人は聞いててきつくないのかなと思った。たとえば、他人(子供のこと)の人生勝手に始めて良いの?とか、嫌になっても途中でやめられないけど産んだ人はそこら辺どう考えてたの?(何も考えてなかったの?)とか。
私は考え出しちゃうと、人それぞれだよね、ができない人間なので、産んだ人/産みたいと思ってる人を敵対視するモードになっちゃうからしんどい。疲れる。子供産むのってある程度勢いとか、えっ何も考えてなかった!とか、すごい考えてるね〜でもそんなこと考えても仕方なくない?(笑)そこまで深く考えず産んだよ!(笑)とか、まあいけるっしょ〜とか、だって可愛いんだもん!とかが大半。てかほぼみんな。経済的なこと計算して、あらゆるリスク(障害含む)への対処法リストアップして、とかやってる人なんていないんじゃないか?みんな、エゴで産んでる。ある程度ふわふわ〜って能天気じゃないと子供なんて産めない。考えすぎてたら絶対産めないし産みたくないにしかならないと思う。
私は何かしたい/しようか?て思うと、100個くらいのリスクや障壁で頭が埋め尽くされるので、子供なんてとても埋めないと思ってた。でも将来とか周りの人のことも考えて産むことも選択肢に入れると、「頭で考えた」理屈っぽいリスクと戦えるのは、幸せそうだから♡可愛いから♡みたいな感情的とかふわふわなメリットじゃなくて、将来安心できるから。頼れるから。老いていくばかりの近親者や自分に可視化された未来そのものである赤子という灯火を与えることによって各々の人生に活力を与えられるから。とか並べていかなきゃいけない。こじつけじゃなく本当に思ってる。レストランとか電車に子供が現れるとうわって思う私だけれど、友達やいとこの子供など近しい存在の子は本当に可愛くて、今まで何度か会いにいかせてもらってる。赤子は、あんなに小さいのに存在感がすごくて、まるで光っているみたいで、赤子を囲む大人たちは皆幸せそうに笑みをたたえている。生きて死ぬ、それだけの日々の道中、同じことの繰り返しに疲れ果て、日々くたびれ、老いていく自分を感じるばかりだった人にとり、未来そのものである赤子という存在は、希望という名のひかりでなくてなんだろう。人生はまだ続く、たとえ自分の人生が終わっても、世界は続いていく。そのことを目で見て、その手で触れて心から感じさせてくれる存在、それが赤子。他人の子を見てきた中で、そう思った。
生涯を捧げる対象なんて何もない。それほど熱く何事にも取り組めない。ただ漠然と死ぬまで生きている。私のような人間こそ子供を産むべきなんだろう。自分の身内にも、旦那の身内にも、ああいう、静かで満ち足りている、慈しみと愛と喜びが音もなく溢れているような笑い方をさせてあげたい。(何様?)
せっかく考えないようにしてきた難問を掘り起こすべく、2/15、イベントに行ってくる。