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【17】自分の「操縦」が難しい
がん告知前から、そういえばちょっと変だった。仕事で遠方に滞在していた時、運転中に止まっている前方の車に追突。そのショックやストレスなのか両太もも全体からお尻にかけて赤い蕁麻疹のようなものが出現、数日血便が出て身体の感覚以上に気持ちが塞いでいた。なんだか集中できないと感じるのは、事故を起こしたショックなのだと思っていた。
病院から離れ自分で選んだ治療を受け、持ち前の前向き前傾姿勢でお手あてをしていても、何をするにも消耗が早く訪れる。常に便意と錯覚する感覚は「これはウンチじゃない」と分かっていてもトイレに行かずにはいられない。ほとんど裏切られるのに、もしかしたらウンチがでるかもという期待もあり個室に入る。小さなかけらが出ようものなら大喜び。あれ?と感じるとと足はトイレに向かう。
昔ふざけて「お花を摘みにいく」や「小鳥たちに挨拶してくる」とか「小鳥にエサをあげてくる」などと言いトイレに行くエピソードを思い出すくらい頻繁にトイレに行くようになっていた。
仕事でパソコンの前に居るのも、原稿を書いたり文字を読むのも見るのも、ライアーの調弦も休み休みになった。簡単に異次元に行きそうなくらい集中してしまう以前の私からしてみたら、やたら歯がゆい。
そんな状態でも、どうしても観たい映画があって夫に頼んで連れて行ってもらった。万が一に備えて出口付近で立ち見した。一番集中できる体制は立っていることだったから。
嗚咽を押さえて観た。
最後まで観れた。
すっごく、よかった。
私にとってベストタイミングに観れて幸運だった。
後に、この映画が50分だったと知り驚く。深い世界に入らせてもらった。
この日の鮮やかさは、後の私を支えてくれた。
映画の内容もタイトルも私には凄い背中押し。
会場には大好きな人たちがいて嬉しくて。
手渡しでもらったフワフワしたマスコットの「たぬーき」は、この先バッグに付いたまま長いこと私を励まし続けてくれることになった。
身体という外側に違和感が増えていったけれど、私の声も中身も病気らしさは無し。ただ、なんとなくチグハグな違和感は漂っていたかも知れない。そして私は、そんな「違和感」を無視し続けた。