デンマーク🇩🇰 My soul journey Day-8 日本へ帰国、旅を振り返る
最終日、いよいよ日本へ帰国する。
コペンハーゲン中央駅まではバスで2時間半くらいだっただろうか。そこで解散となり、直接空港へ向かう人、そのまま旅を続ける人、フライトまで観光しようという人など、三々五々となった。
別れるのは寂しいけど、みんな笑顔で前を見ていた。それぞれが次への一歩を踏み出した瞬間だった。
たまたま一緒になった3人で空港で何か美味しい物でも食べようと、私は気がつくとフィッシュアンドチップスとビールを頼んでいた。
いやそこはデンマーク最後の食事としてスモーブローを頼むべきだったのに。隣の美しいスモーブローを見て自分の衝動に呆れた。
これから13時間の長旅を乗り越えるための景気づけとしよう。
フライトは出発が遅延し、羽田空港には当初予定より結局3時間くらい遅れて到着しただろうか。
実は予定は午前8時前に着くはずだったので、9時半からの予定を入れていたのだが、大幅遅刻となった。
何はともあれ、無事に元気に到着できたのだから充分なのだ。めでたし!
ここからは旅の振り返り。
この旅のきっかけは「デンマーク人はなぜ4時に帰っても成果を出せるのか」という針貝有佳さんの著書を読んで、どうやったらそんなことができるのか実際に見たい知りたい!という好奇心だった。
そしてたまたまこのツアーを発見して、すぐに参加を決めた。
参加者のみんなは、自分から何かを掴もうと積極的で、お互いを助け合い、尊重する人たちで、こんな方々と出会えたことは、陳腐な言葉だけど宝物である。
この旅の副産物として、期待以上に自分の人生のリフレクションの機会となった。
今回幼稚園から高校手前までの学校を見学させていただいて、ゆったりとした時間の中にいたせいか、自分の「そのころ」を鮮明に思い出していた。
幼稚園から小学校に上がるとき、小学校から中学校、中学校から高校、高校から大学、大学から社会人。毎回その溝をジャンプするのが怖くて、違和感しかなくて、混乱していたんだよなぁ。
幼稚園のころからやりたくない遊びをみんなと一緒にやるくらいなら一人で絵を描いたり絵本を読んでいたかった。遊びを邪魔されるのがすごく嫌いな子だった。
進学でも部活でもいっつも一人で決めてたな。友達と一緒に部活に入るとか、学校を選ぶとかなかった。進学校から一人だけ美大に行ったしな。
そんな私と一緒にいてくれる友達もいたし、いつでも両親は私の決断を尊重してくれた。
母は先生にも正面からもの申していたし、意見を言うこと(もちろんわがままを主張するとかではない)を控えない人だ。権威に対して黙って盲目に従うことを決してよしとはしなかった。
小中学生の頃行った屋久島でのキャンプは、やっぱり自分が生きていく上での礎になってたんだな。子どもたちだけで話し合って決めること、あれは民主主義を学んでいたのかも。
音楽や舞台芸術、美術展など、生の芸術に触れる機会をたくさん与えてもらっていたのは、モノの見方を柔軟にし、美意識、価値観を形成しているのかも。
なんやかんや社会で生きていく上で、世間とのギャップに失望し、諦めたり、我慢したり、自分を偽ったりしてなんとかすり合わせてここまで頑張ってきたんだよな。
と、記憶と思いをつらつらと書き並べてみた。
それで気がついたのは、うちの両親は半世紀前から結構今のデンマークに近い教育方針だったのかも!笑。
でも当時(今も?)日本の社会構造や風土と親和性が低かったので、私自身はその摩擦の中で生きにくさや挫折を経てきた。
もしかしたら、そんな私だから見えることがあるのかもしれない。
長々となってしまったが、今回の旅の記録はここでおしまい。そしてまた新しい旅を始めよう。
読んでいただきありがとうございました。
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