
あなたは可愛らしい
ひいおばあちゃんのことについて書きたい。
コンデジの回にて、ハイカラなひいおばあちゃんと触れたあのひいおばあちゃんの話
私のひいおばあちゃんは大正生まれで、一昨年、駆けつけることのできた私と母とで最期を看取った。葬式では、家族みんなが口を揃えて大往生だったねと言っていた。
私の母は親が自営業だったため、幼少期はほとんどひいおばあちゃんに育てられたらしい。
ひいおばあちゃんは料理をしない人だったから、あの頃私は何を食べていたんだろうと言っていた。
ひいおばあちゃんは私の母のことが可愛くて仕方なかったそうで、大人になってからも、毎週顔を合わせるたびに「〇子や、○子やようきた。(○子は母の名前)」と嬉しがっていた。
母に子供(私)が生まれたことを誰より喜んだのもひいおばあちゃんだったそうで、後から妹が生まれ、親族が妹ばかりをかわいいといっていたときは、「○○の方が可愛らしい!(私のこと)」と頑固な意地を張っていたそうだ。
そんなひいおばちゃんは節約しつつも、習い事や買い物・旅行が趣味で、好奇心のままに暮らしていた。あまりにも自由なので家族が注意することもあったのだが、効果があった試しがないとみんなが笑って懐かしんでいる。
私から見てもひいおばあちゃんには自由という言葉がぴったり似合う。
そしてこの年になって思うのは、あんなにも自由なのに、自分の妹をちゃん付で呼ぶほど可愛がりそんな妹からは慕われ、同居する息子夫婦とは頻繁に温泉に通うというように身近な人との関係を大切にしてきた面もあれば、家族も知らない友達も山ほどいるという人付き合いの幅の広さへの感心である。
なのに、ひいおばあちゃん自身の話を知っている人は少ない。ひいおばあちゃんの口から聞きたかったと私も後悔している。
私のことをかわいいと言っていたのも、葬式で初めて会ったひいおばあちゃんの友達の皆様に「もしかして、あのひまごちゃん!?大きくなったね~」と言われて知った話である。(私が幼い頃、自作アルバムを友人らに見せていたそうだ)
母のほうも、ひいおばあちゃんが老人会にて書いた作文などから、思い当たる節との答え合わせをするかのように色々知った。(作文は箪笥に大事に隠してあった)
私は何かの一番になったことがないし、いてもいないようなものだとずっと思っていた。
だけどその時、人づてに色々な話を聞いて、私はひいおばあちゃんにとっての一番だったのかもしれないと思った。
ちっぽけでも、勘違いでも、それだけで生きている意味を見つけた気になれた。
確かに可愛がってくれていたという真実にどれだけ救われたことか。これからもこれをを握りしめていくのだろう。
そして、ひいおばあちゃんの自慢の孫なんだからと自分を奮い立たせ、凛凛と過ごししていくつもり。
伝えられなかったけど、私もひいおばあちゃんが大好き。