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その人の笑顔でいられる時間を増やすお手伝いがしたい

この記事はちょうど2年前に書いて、ずっと下書き保存されていたもの。

久しぶりに読み返してみて、やりたいことの軸はずっと変わらないなと。
やりたいことに向かって歩み続けているものの、だいぶスローペースで未だカタチにできていないけど、2年前の想いとこれから作っていくことのために、見える形で残しておこうと思いました。

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最近、本当に私のしたいこと(仕事)は何かな?とよく考えます。

ずっと考えてきたことでもありますが、年々さまざまな経験とか、たくさんの可能性とか、いろんな人たちと出逢う中で少しずつ見えてくるものがあります。

理想だとか

夢とか

きれいごとかもしれないけど、

そんなことどうやって実現していくのか、とか

どうやって仕事にしていくの?とか、いろいろまだ見えない部分もたくさんあるけど、今思うことを残しておきたいと思います。


私は、

『おじいちゃんおばあちゃんに関わっていたい』

『おじいちゃんおばあちゃんに私は元気をもらえるし、笑顔になってもらいたい』

そんな想いがずっと変わらずにあります。

作業療法士の関りも、福祉ネイリストの活動もすごく大好きです。

だけど、根本としてやりたいことはちょっとニアリーイコールのような。。


作業療法士として働いていた時に感じていた不思議なことがあります。


初めて作業療法士として就職した職場では神経難病の方を多く担当しました。

特にパーキンソン病の方は結構いて、

特に印象に残っているのが体の小さなとっても可愛いおばあちゃん。

パーキンソン病は、現代の医療では治ることは難しく、どんどん進行していく病気です。

身体のがこわばり、スムーズな動きが難しくなったり

仮面様顔貌といって表情も硬くなり、無表情になってしまいます。

担当していたパーキンソン病のおばあちゃんは、どことなく親戚のおばあちゃんのような親しみがあって、とっても可愛くて、病気やリハビリの話だけではなく他愛もない話もたくさん一緒にしました。

普段は自宅で生活しているおばあちゃんは、外来リハビリで通い、パーキンソン病の症状が悪化してくると定期的に入院して集中リハを受けたりして、2~3年くらいはずっと関わっていたかなと思います。

仮面様顔貌というパーキンソン病特有の症状がありながらも、そのおばあちゃんは大きな声で顔をくしゃっとさせてとても素敵に笑う人でした。

そのおばあちゃんの楽しみは、1年に1回仲の良い親戚みんなで旅行に行くことでした。

年々進行していく病で、「もう来年は行けないわ」と毎年言っていたけれど、それを目標に私は「今年も旅行行くんでしょ!」と励ましながらリハビリをしていました。

旅行に行くと、やっぱり楽しくて、「行けて良かったわ~」ととても嬉しそうにまた笑います。

そのおばあちゃんは他のパーキンソン病の方とは少し進行具合が違うような気がしていました。もちろん進行具合は個人差があるけれど、

そのおばあちゃんはよく笑うと体が動きだしたり、進行悪化が少し回復してきたりしていました。

on-offの波と精神状態も比例していたのかもしれないけど、

そのおばあちゃんを見ていると、

パーキンソン病の方も、笑顔でいられる時間を増やすことで進行を遅らせられるんじゃないかな?という想いがずっとありました。


余命宣告をされた末期がんの方が、「子どもの卒業式を見届けたい」と強く願うことで生きる希望が生まれ、ナチュラルキラー細胞が活性化され、余命宣告の時期をとうに越して生きることができたという話をよく耳にします。


そういう、人の生きる力や笑顔でいられる時間をできる限り伸ばすために

作業療法士としての私も

福祉ネイリストとしての私も

タカハシチカとしての私も

活かして、生きたいと思う方を支えられるサポートをしたいなって。

作業療法士時代、担当していたおじいちゃんおばあちゃんも大好きでした。

本気でこの人が生きやすくするためにどうしたらよいのか必死に考えて、相談にのって、本人とも家族とも一緒に考えてきました。

だけど、作業療法士として関われる時間とラインには限りがあって制約もあった。

作業療法士だから関われている事実ももちろんあったけど、もっとできることがあるんじゃないかと関われないもどかしさを感じることもありました。


初めて務めた職場を辞めてからもおばあちゃんとは年賀状のやり取りをし、たまにお家に遊びに行っては、傾いた小さな体で作ってくれた煮物を食べて、また他愛もない話をしました。

そんなおばあちゃんが突然亡くなったと聞き、なぜ?と信じられなかった。


NARUで働くようになって、毎日日課のお散歩でNARUの前を通るとっても優しいおばあちゃんと話すのが私は大好きだった。

コロナ禍で急遽2~3週間休館になった時、偶然そのおばあちゃんに会って、

いつものように他愛もない会話をして、「お体気をつけてくださいね」と声をかけた。あまりに毎回私がそう言うからか、おばあちゃんはその日、「大丈夫よ~!」と元気に返してくれた。

名前も知らないおばあちゃん。休館が明けて、今度会ったら名前を聞こう。

そう思っていたら、おばあちゃんの姿を見なくなった。

毎日そのおばあちゃんが日課で通っていたお花屋さんから亡くなってしまったと聞いた。

一人暮らしだったそう。

私がいたからってそのおばあちゃんたちの何かが変わったわけではないし、死という事実がかわるわけではない。

だけど、その2人の死が私にとってすごくショックだった。

ちょっとした声かけで変わる事実もあったかもしれない。

誰かの存在が助けになったかもしれない。

そんな小さな手助けさえも、この世の中では足りてないんだ。


まだまだ自分には足りない経験も、知識も、術もたくさんあるけど、

今の自分にできる方法を少しずつ考えてみたいなと思っています。

自分のしたいことを整理しながら、たくさんの人と話して、できることを模索していきたい。


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