蒼海11号すきな句
蒼海11号は2021年3月発行。おもに秋の句が掲載されています。招待作品10句はなんと鴇田智哉さん。(ファンの方、必見です!)
さっそく好きだった句について書きます。
かまきりの卵に日脚伸びにけり 堀本裕樹
恥ずかしながら「かまきりの卵」がどんな形状なのかわからず、インターネットで調べました。関東地方ではカマキリは10月ごろに産卵し、たくさんの卵を包んだ卵鞘(薄茶色のスポンジ状のもの)をつくり、翌年の4月ごろに孵化します。冬は木の葉が落ちるので、枝などに産み付けられた卵鞘を見つけやすいそうです。散歩ルートにかまきりの卵(卵鞘)があり、そこに伸びてゆく晩冬の日差しに、たしかに春が近づいていることを感じたのでしょう。シンプルな言葉で紡がれた、自然を慈しむ気持ちがよく伝わる一句。先日、公園で木登りをしていた保育園児が「これ、かまきりの卵だよ」と教えてくれました。桜の木の枝先に、インターネットでみた通りのかまきりの卵鞘がついていました。
神木の窪みに小さきゑのこ草 佐復桂
吟行句会で特選にいただいた句です。まさに見たままの景を素直に詠んだ一句ですが、同じ景をみてわたしは「大木の窪みに小さき猫じやらし」という句を作っていました。「大木」→「神木」、「猫じやらし」→「ゑのこ草」に変えるだけで、こんなにも句が格調高くなるのかと驚きました。句を構成する単語ひとつひとつに作者の美意識が行き届いています。神木の懐の深さと、ゑのこ草の愛らしさも感じます。
硝子器に葡萄の骨の残りたる 土屋幸代
葡萄の茎を「骨」と言い切ったところに魅力があります。火葬後の骨上げのときに、おじいちゃんってこんなに骨が太かったんだね、とか、おばあちゃんは骨粗鬆症だったから骨がスカスカだ、とか言い合ったことを思い出しました。食べ終わって茎だけになった葡萄は、なにか葡萄の本質のようでもあります。硝子器と骨の異素材の対比もよく効いています。
放課後に似た十月の暮れてゆく 浅見忠仁
学生生活を終えてから随分と経ちますが、数人で雑談を交わしながら一気に心の距離が縮まった瞬間、「放課後みたいで楽しい!」と思うことがあります。授業から開放されて緩んだ心が自由にじゃれあっているのが放課後。十月は学園祭などのイベントも多く、学生生活が最も充実する月です。「暮れてゆく」に冬が近づいていることが感じられるのも巧みです。同時作に「読みかけの詩や十一月のひかり」「廃墟から廃墟見ている十二月」があり、連作としても楽しめます。
蠅ひとつ付けて漲る葡萄かな 澁谷洋子
「漲る」によって水分をパンパンに溜め込んでいる美味しそうな葡萄が見えてきます。蠅を「ひとつ」とモノのように捕えているのも面白いです。絵画的な句であり、蠅も葡萄も平等な立場で詠まれています。普通であれば、手で蠅を追い払ってしまうところですが、作者はその場面を静かに見つめて一句にしました。作者の生活のなかに常に俳句があることが想像できて嬉しくなります。
初冬や息かけて拭く鉄亜鈴 曲風彦
鉄は熱伝導率が高いので、冬は鉄亜鈴がとても冷たくなります。冷たい鉄亜鈴と、温かい息の対比が鮮やかです。なにかを拭くときに、ふーっと自分の息を吹きかける行為にはどこか人間臭さがあり、ストイックにトレーニング勤しむ人物がそうしていると想像すると、なんだか可愛らしいです。
月今宵ひとり遊びの手が仇 武田遼太郎
右手に正義の見方の人形、左手に悪者の人形を持ち、それを戦わせてひとり遊びをしているのでしょうか。正義と悪の戦いはヒートアップし、やがて人形もほっぽり出して、右手と左手が戦う構図に。一人遊びの先に行き着いた世界。季語「月今宵」は「名月」の傍題で旧暦8月15日の月、一年で最も澄んで美しいとされます。「仇」という渋い言葉が効いています。
あのやうな荼毘もありしか流れ星 板坂壽一
荼毘は火葬のこと。葬式帰りの独り言でしょうか。空を見上げると流れ星が。掲句のあまり重くない雰囲気にリアリティーを感じ、ふと地元の幼馴染の男の子が病気で二十歳で亡くなったときのことを思い出しました。彼の葬式に行ったわたしの父は、「あの子にあんなにたくさん友達がいたなんて意外だ、見直した」と言っていました。変な感想ですが、あまり辛気臭くない死の捉え方がちょっといいなと思いました。
黒点のごとき染みある落葉かな 内田創太
黒点は太陽表面を観察したときに見える黒い点のこと。黒点は普通の太陽表面に比べて温度が①高い②低い、どっち?という問題があったことを思い出しました。この落葉の染みは黒点みたいだと発見したら、誰かに話したくなります。できれば黒点についてのうんちくを語り合える誰かに。黒点というだけで、落葉全体は太陽のような明るいオレンジ色をしていることが想像できるのも巧みです。(問題の答えは②です。)
飴細工冷えて光の宿りけり 小谷由果
熱して柔らかくした飴を素手とハサミを使って美しい造形に造りあげていく飴細工。やや濁っている熱い飴は、冷めて固まれば透明になります。その様子を「光の宿る」と表現したところがすごいです。すぐに固まってしまう飴をわずかな時間で美しい造形に仕上げる職人の洗練された指先の動き、そして濃密な時間の流れが感じられます。切字の「けり」がよく効いています。
踊り場の大理石冷ゆ松坂屋 白山土鳩
この松坂屋は上野の松坂屋だと思いました。数年前に訪れたとき、階段の踊り場がルネサンス調というのか、重厚なデザインの大理石で装飾されていて驚きました。天井も低かったです。レトロなデザインに心惹かれつつも、どこか寒々しくも感じました。季語「冷ゆ」に心理的な意味合いも込められているのかもしれません。上野松坂屋の内観について紹介しているこんなサイトをみつけました。
迷ひなき白杖の音鳥渡る 髙木小都
白杖の音に対して「迷ひなき」と表現しているところに、視覚障害者の方への畏敬の念を感じました。季語「鳥渡る」の斡旋が非常に巧みです。地と天の対比が気持ちよく、白杖があたかも渡り鳥を操っているかのような想像も膨らみます。
コント師の膝の震へや黍嵐 つしまいくこ
コントを生業とするコント師にとって緊張を観客に悟られてしまうことは致命的でしょう。しかし作者の目はそれを見逃しません。季語「黍嵐」は収穫の時期を迎えた黍を倒さんばかりに吹く風のこと。強風に耐える黍の姿と、緊張に負けまいとするコント師の姿とが重なります。掲句は、句友が企画してくださった「キングオブコント2020句会」での人気句でもありました。
運動会古墳の上より応援す 弦石マキ
ちょっとした山だと思っていたら、実は古墳(円墳)だったという話はありえるのかもしれません。運動会の応援席にされてしまう古墳が哀しくて可笑しいです。学校関係者だけでなく、地域の人たちの姿も見えてくる、実におおらかな句です。明るくて楽しい句はやはりいいなと思います。
ライダースジャケットに差す赤い羽根 福田小桃
ライダースジャケットほど、赤い羽根を引き立たせるものはないのかもしれません。色の対比(ライダースジャケットは黒であってほしい)、素材感の対比、完璧です。おまけにちょっと不良っぽいイメージのあるライダースジャケットの人物が募金をしたというギャップもいいです。(ギャップ萌えを狙って募金したのかもしれません……)
人参に運河のごとき罅暗し 森沢悠子
人参というありふれた野菜(冬の季語)に、運河を見つけた視点がすばらしく俳句的です。人参の深く一直線な罅は自然の川よりも、人工的な運河を思わせます。「暗し」のだめ押しの表現が、人参の明るい色との対比を際立たせています。
だしぬけに誰かが笑ふ夜業かな 中島潤也
一刻も早く家に帰るべく、雑談もせず仕事に集中している残業中の面々。突然、誰がが「ふふっ」と笑い出すと(←ちょっと怖いですが)、張り詰めていた空気が緩み、いつのまにか不思議な連帯感が生まれたのかもしれません。一般的には、定時内にやるべきことを終わらせて残業しないのが有能な社員とされていますが、実際は残業やむなしという場面も多いでしょう。「だ」の音の重なりが愉快です。
爽籟や砥石の面に水の斑 杉本四十九士
砥石の表面に現れる不思議な水の紋様。風に吹かれれば秒単位で紋様を変えてゆきます。実にいい景です。「水の斑」というシンプルな表現が特に素晴らしく、「爽籟」という格調高い季語の選択も良いです。
初冬や塗り絵の家に窓を足す 日向美菜
塗り絵の家に窓を足すというオリジナリティーのある工夫で、塗り絵をより楽しもうとしているのだと思いました。冬が深まるにつれて、家で過ごす時間は増えてゆきます。おうちじかんの楽しみ方をたくさん知っている作中主体はきっと冬が好きなのでしょう。
去年今年漫画の台詞に励まされ 手嶋風成
代表的な励まされる漫画の台詞といえば、「あきらめたらそこで試合終了ですよ」(スラムダンクの安西先生)でしょう。受験生のとき、わたしはこの言葉を紙に書いて机に貼っていました(笑)掲句の季語は「去年今年」。去年に引き続き、今年も漫画から力をもらって生きていきます!という宣言にも思えてきます。句が実に自然体なのが良いです。中八もご愛嬌。
和洋中ロケ弁そろへ天高し 中川裕規
和洋中のロケ弁を揃えたのは、作者自身の発案か、それともそういう慣習なのでしょうか。季語「天高し」に、「ロケ弁を完璧に揃えてやったぜ!」という達成感を感じます。天気がよいこの日はまさしくロケ日和だったのでしょう。テレビの仕事に携わっている作者は、堀本主宰の著書『桜木杏、俳句はじめてみました』を広瀬すずさん主演でドラマ化した『あんのリリック』(wowow)のプロデューサーでもあります。ドラマ、面白かったです!
枯野人咳き込むやうに笑ひけり 福田健太
中七下五のリアリティーに思わず頷きました。咳をしていると思っていたら、そういう笑い方だったのです。「枯野人」という季語から、この人はなにか肺の病気を抱えているのかもしれないといった想像も膨らみます。ドライな詠みっぷりがせつなさを際立たせています。
背番号順にありつく秋刀魚かな 紺乃ひつじ
野球部か、サッカー部か、学生が食堂にずらりと並んで座っている景を想像しました。強豪校の寮なのかも。旬の秋刀魚を手に入れた食事係が、丁寧に一匹ずつ焼いています。それゆえに焼き上がるペースと学生に提供するペースとが合いません。そこで背番号順、すなわち選手として有能な順に、秋刀魚が提供されることになったのでしょう。一見残酷なようですが、句の雰囲気はおおらか。「ありつく」という動詞のユーモラスさが良いです。
旅の途のリモートワーク小鳥来る 濱ノ霞
旅の最中は完全に仕事のことは忘れたいというのが人情です。しかし「小鳥来る」という明るい季語を斡旋していることから、旅の道中にリモートワークをするのも悪くないと作中主体は思っているのかもしれません。「リモートワーク」という言葉の軽さがよく活かされています。
小春日や木馬は棒に貫かれ ばんかおり
メリーゴーランドの木馬はたしかに棒に貫かれています。その棒が上下することで、木馬が上下しているのです。改めて句にされると、木馬の明るいカラーリングや、ツヤツヤとした表面や、まつげのくるりんとした目も、なんだか哀しく見えてきます。そして季語「小春日」の明るさが、ホラー味を際立たせていて巧みです。
ほかにもよい句、語りたい句がたくさんありました。
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