セクト・ポクリットの【コンゲツノハイク】の好きな句〈2021年3月〉
ゆつくりと氷の上をこほる水 山口昭男(「秋草」)
至極平易な表現ながら、氷の上を水が凍ってゆくスローモーションの映像が目に浮かぶ。漢字が「氷」「上」「水」だけなのもすっきりとしていて清らかだ。こんな俳句が作りたい。
冬あたたかや患者にもバーコード 江崎紀和子(「櫟」)
冬あたたかや〜とはじまる俳句をはじめて見た。すこしだけ崩したリズムが心地よい。バーコードで管理されるのは味気ないというよくある感想よりも、しっかりと管理されていて安心できるという気持ちを感じる。
水槽をよこぎり河豚を喰ふ部屋へ 筏井遙(「群青」)
「河豚を喰ふ部屋」という身も蓋もない言い方が最高に好きだ。お店のひとに案内されながら、水槽や店のインテリアをじろじろと眺めている姿が思い浮かぶ。はじめて河豚をごちそうになる場面かなと思った。
分割画面の一人フリーズ咳の途中 林 雅樹(「澤」)
zoomなどのオンラインミーティングで通信環境が悪いと、会話の途中でフリーズしてしまう。咳の途中なら間違いなく残念な顔だ。新しい日常の風景をさらりと一句にしてみせたがすごい。「咳の途中」という言い方も巧み。
カトレアや部屋のどこかに盗聴器 黒澤麻生子(「秋麗」)
「カトレアや」などと詠嘆している場合ではない。しかしこの冷静なテンションは盗聴されている部屋の主というよりも、盗聴Gメンかなと思う。恐怖と面白みのバランスがいい。
影連れ立つ相談室の寒灯に 川原風人(「鷹」)
「相談室」がいい。舞台が学校であることや、なにか事情のありそうな人物像が思い浮かぶ、俳句的な経済効率のよい言葉だ。連れ立つ影は親子かなと思った。季語「寒灯」がせつなく効いている。
大嚔癌の腰椎貫けり 藤原登(「橘」)
当事者でもないのに癌のことに触れるのはすこし憚られるが、俳句としてシンプルで実に心に残る句だった。大嚔の「大」の迫力にたじろいでしまう。「腰椎」という無機質な器官の名前をもってきたところがリアルで、痛みが生々しく伝わってくる。
年寄りにもう無関心秋の蜂 石川和生(「田」)
一読して笑ってしまった。秋の蜂が年寄りの回りをうろついていたが、年寄りが蜂に対してなんの反応もとらないので、蜂が離れていってしまった景を想像した。季語を別のものにして中七で意味を切り、「年寄りにもう無関心」なのは人間(若者とか)にしても面白いのかなと思った。(←個人の趣味です。)
流行歌の当て字奔放日脚のぶ 森あおい(「南風」)
「運命」を「さだめ」と読ませ、「永遠」を「とわ」、「人生」は「みち」……。俳句に馴染むほど、Jポップの当て字には冷ややかな目を向けがちだが(わたしです)、掲句のおおらかさに好感をもった。「奔放」という言い方や季語が優しい。
鯛焼の女体のやうに冷めてゆく 小泉瀬衣子(「牧」)
冷えはじめた鯛焼のぶよんとした表面はたしかに女体を思わせる。(当然ながら熱々の鯛焼に対してそんなことは思わない。)紙包に入れっぱなしにしていると鯛焼の表面にかすかに汗をかいたりするのも、なんだか艶かしく思えてくる。大胆な見立てがうまい。
蟹の朱よ鮪の赤よ一人の夜 西生ゆかり(「街」)
たしかに蟹は朱で鮪は赤だ。一般的には同じ「あかいろ」でひとくくりにされがちな色の違いを端的に表現してみせたところが上手い。上五中七で豪華な食卓風景が思い浮かんだところで、下五「一人の夜」で寒々しい風景に突き落とされる。「よ」の呼びかけもこころなしか悲しく思えてくる。(一人で好きなだけ食べられてラッキー!と思うひともなかにはいるかもしれない。)
堀切さんのセクト・ポクリットのこちらの連載、とても好きです。すばらしい企画をありがとうございます↓