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蒼海4号すきな句

蒼海4号は2019年6月20日発行。おもに冬から春の句が掲載されています。

行く春やゆく平成や海に雨  堀本裕樹

2019年5月1日、元号が平成から令和に変わりました。1年半しか経っていないのに、はるか昔のことのように感じます。コロナ以前の世界は遠い昔のようです。大きな景色をシンプルに詠んだ下五がすごいです。読み手それぞれの平成への思いを投影することができる、懐の大きな一句。

撞球のはじき合ふおと花ぐもり  加藤ナオミ

2016年の4月、はじめて参加した「たんぽぽ句会」で出会った一句。たんぽぽ句会のときは「花ぐもり」ではなく、「春かなし」だったと記憶しています。(たしかお題が「春愁」だったので。)小説「道頓堀川」のような世界と先生から評されていました。それから3年くらい経って「道頓堀川」を詠んだときにこの句のことを思い出しました。その隣の「花の雨打つ人のなき火打石」も同じ句会のときに出ていた一句。シンプルで形がよく、まるで古俳諧の句のようです。

初夢の若き父母着飾りぬ  白山土鳩 

初夢に結婚したてくらいの若い両親がでてきて、着物かなにかで着飾っている。大人になってから、いまの自分よりも若いころの両親の写真をみると、胸が締め付けられるような、恥ずかしいような不思議な気持ちになります。それと似た感情を呼び起こす一句です。もし両親のどちらか、あるいは二人ともすでに故人だとしたらと想像すると、また違った味わいがあります。個人的にとても好きな句です。

もつと食へと言ふ人の去り七日かな  つしまいくこ

「もつと食へ」という言葉のインパクトがすごいです。お正月にやってくる親戚のひとってやたらと食え食え言いますよね。うるさいのがやっと帰ってほっとしたけど、すこしさみしい。あるいは主宰の選評にもあるように、亡くなった人のこととも考えられます。そう考えると「もつと食え」の迫力が増してきます。

いつまでも減らぬカステラ冬深し  三師ねりり 

一人暮らしで立派なカステラ一本をもてあましている景を想像しました。個人的にカステラがそこまで好きじゃないのではげしく共感します。ややネガティブに「カステラ」を詠んだところが秀逸。それに「冬深し」が大げさで滑稽味があります。

釣り堀にママチーママの着膨れて  三橋五七

「ママチーママ」のリズムが良いです。釣り堀という場所設定が、さもありなんと思わせられます。(市ヶ谷の釣り堀でしょうか‥‥。)なかなか他の人には作ることのできない、作者の個性が光る一句。

妻となるひとも無口や春炬燵  福嶋すず菜

結婚する妻を紹介された夫の親戚側(あるいは夫の友達)の一句ということが短い言葉でわかる、うまい句です。わたしも夫も無口なので、自分のことを詠まれているような気分になりました(笑)。季語「春炬燵」に作者の優しい目線を感じました。

乳飲みて寝て乳飲みて三ヶ日  月岡奈楽

三ヶ日が最高にはまっていて好きです。赤ちゃんにつきっきりで自分のしたいこともできない大変な時期なのでしょうが、客観的に読まれているのがいいなと思いました。

ラジオ消す十一月の日向かな  西木理永 

プツっというラジオを消すときの音が聞こえてくるような一句です。ラジオを消したあとの余韻と日向の取り合わせが良いです。「○月」の季語を使いこなすのは難しいのですが、こちらの句は「十一月」がよくはまっていると思いました。

水道の湯を待つ手さき去年今年  杉澤さやか 

年越しの瞬間、お風呂場にいてお湯を待っていたのかなと思いました。11月ごろになるとお湯が恋しくなって、この句のような動作をするようになります。去年今年という大げさな季語と日常の風景の取り合わせが秀逸です。

台詞無き天使の役よクリスマス  西野苺 

天使の役には台詞がないという発見がほっこりして愛おしいです。クリスマスにやっている劇でしょうか。映画「ラブ・アクチュアリー」を思い出しました。「よ」がかわいいです。

小説をさまよふ「僕」や冬銀河  曲風彦

作者が小説の世界にのめり込んで現実世界と小説の世界と区別がつかなくなっているのかなと思いました。冬銀河という青春性の強い季語も効いています。おなじ作者の「弔ひや冬田囲める車の灯」も田舎の葬式の雰囲気がとてもよくでていて好きな句です。

ゆれながら吹くオーボエや暖かし  矢崎二酔

高校生のときにオーケストラ部に所属していたのですが、たしかにオーボエの子、よくゆれていたな、と思い出しました。中七のやで切って、暖かし、と終わるのもシンプルでいいなと思います。

キス・アンド・クライその一隅を冬薔薇  加留かるか

キスアンドクライを俳句に取り込むのははじめてみました。リズムもいいなぁと思います。テレビ鑑賞でも俳句ができると思わせてくれる句で好きです。

鎌倉の寒夜のバスのシャンデリア  中島潤也 

シャンデリアは五音だし華やかさがあるので句材としてとても使い勝手がいいと思っていたのですがバスのシャンデリアとはまたいいところに目をつけました。冬の夜と最高に合います。

山持つてゐさうな家の干蒲団  古川朋子

金持ちそうな家のたとえとして、「山持っていそう」は最高に面白いです。旧かな表記によって田舎の大きな家の古めかしい雰囲気がでています。

告白のしかたに癖のある冬着  音無早矢

作者の冷静な感じが面白いです。告白をしている人を「冬着」と言ってしまうところも冷たくていいですね。わたしは恋の告白だと思ったのですが、ミステリーの犯人の告白と考えてもいいかも。

啓蟄や書籍消毒機の光  井上芽音

図書館の書籍消毒機とは目の付け所がいいなと思いました。消毒してきれいな本に生まれ変わるイメージと、冬眠していた生き物たちが穴からでてくるイメージがひびきあいます。

深々と座席を倒し除夜のバス  内田創太

大晦日の夜に高速バスに乗っているのですね。深々と座席を倒すけれど、体のすぐ上には深々と倒れた前の座席があり、とても窮屈そうです。高速バスの車内で年を越すとは、なんと孤独で青春性にあふれる行為。

フェラーリが台に回つてゐる聖夜  枝白紙 

固有名詞「フェラーリ」が効いている一句。六本木っぽいです。フェラーリ「の」ではなく「が」としたことで、いい意味での俳句っぽくなさと明るさがでたような気がします。

もの忘れ隠して虚し四月馬鹿  菅野健一郎

季語はつきすぎなのかなとも思ったのですが、「もの忘れ隠して虚し」という措辞のよさに感動しました。認知症(あるいはその手前)を当事者が詠んだ句というのが新鮮でした。

雪が降るテレビの街にわが庭に  小泉良子

あまりによくまとまっているので、どこかに類句がありそうと思えてしまうほどいい句です。

おでん食ふふたりときめき殺しつつ  高木小都 

これすごく好きな句です。既婚者であるとか、なんらかの事情があってお互いに好きになっちゃいけないと思いながら、どこかその状況を楽しんでいるような気もします。「ふたり」としたことでお互いに好意をもっていることがわかって、ときめきが加速します。おでんがいいです。

セーターの社長は話しかけやすし  吉野由美 

たんぽぽ句会で一読していいと思って、特選にいただきました。シンプルで季語のセーターがとてもあたたかみがあって素敵です。こんな会社いいなぁと思います。

初仕事排泄日記遡る  土屋幸代 

作者はヘルパーとして働いていらっしゃるそうです。「遡る」がお正月休みの長さを表現していてうまいと思います。「排泄日記」という言葉のリアリティーが◎

遠火事やこけしの位置がずれてゐる  深泥池幽楽坊 

金波銀波のなかで主宰がしきりに言っている「無内容の歌」に通じるものがあるかなと思いました。意味を考えるとよくわからないけど、とても惹かれる句です。

やはらかく拒まれてをりセロリ食ふ  鳥居美穂 

なにを拒まれたのかが書かれていないので想像が広がる句です。相手の表情や言葉はやわらかいが、拒まれていることははっきりと伝わる。すこし苦味のあるセロリが大人の恋を連想させます。

しもやけや欠席すれば届くパン  小川紫音 

昔は欠席のこどもの家までパンを届けていたのでしょうか。季語「しもやけ」が最高にせつないです。作者が昔を回想して作った句でしょうが、現在形にしたことがよかったです。

国守る男やきよろきよろと春の駅  野口いつせい 

国守る男(警察官?あるいは防人?)が挙動不審なのが気になりました。「国守る男」「きよろきよろ」「春の駅」すべてのワードが独特であり、なんとも不思議な魅力のある句です。

雲間より黄身のこぼるるやう春陽  松本恵 

春の陽射しを黄身にたとえたところが独特で面白いと思いました。卵の黄身と白身を分けているときの、卵の殻が雲で、黄身が春陽のようだと思いました。

除夜の鐘いくら突いても突き足りぬ  橋本鶴樹 

煩悩がありすぎて…という意味で作られたのかもしれないのですが、除夜の鐘の意味など考えずに、ただただ楽しくてついているというふうにとりたいと思いました。

花の夜のペンギンたちの腹すべり  犬星星人 

真夜中の動物園でペンギンたちが腹すべりをしていて、桜吹雪も舞っています。星空のきらきらもみえるようです。絵本の1ページのようです。 


最後に拙句をひとつ。

年の瀬や常連だけの中華店  千野千佳

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