不幸そうに見える人の言うことを聞かない
不幸は大なり小なり
誰の身にも起こるだろう。
その話を聞かないというわけではない。
不幸「そう」に見える人には
気をつけないといけないというお話。
不幸と不幸そうに見える人は違う
不幸は大なり小なり
誰の身にも起こること。
そうなると苦しんだり
落ち込んだり
悩んだりする。
きっと、みんなある。
そんな時、誰かに話を聞いてもらって
気持ちが少し軽くなったり
頭の中が整理できて
立ち上がるきっかけになることもある。
それはお互いさまだろう。
ここでは「不幸」そのものではなく
「不幸そう」な人たちのお話。
不幸そうな人たちの言うこと
親から何かを反対されたり
「○○しなさい」と
指示(とういより押しつけ)されたり
したことはないだろうか?
小さな頃ならともかく
ある程度の自分で判断できる年齢になって
そんなふうに言われたら
まず考えるのは
その親は幸せそうに見えるか?
親自身が毎日を楽しそうに
満足して幸せそうに見えるなら
まだいいかもしれない。
でも、こちらが自分で判断できる頃になっても
しようとする何かに反対したり
「○○しなさい」と指示するなら
親自身が満たされていない可能性が高いと思う。
自分が幸せで満ち足りているなら
子どもをコントロールする必要がない。
親だけではない。
他にもそんな人はたくさんいる。
転職や起業のため退職を告げた時
反対する人たちは
幸せそうに見えるだろうか?
もし、職場の人たちが止めるなら
それは「抜け駆けを許さない」という
感情かもしれない。
(抜けられたら仕事が回らないという理由もあるけど)
少なくとも自分から見て
幸せそうに見えない人は
自分が欲しい幸せを持っていない。
幸せは人それぞれ
幸せを測る基準はない。
たくさんのお金があることを
幸せだと感じる人もいる。
好きな人たちがいることが
幸せだと感じる人もいる。
自由な時間が多いことが
幸せだと感じる人もいる。
自分から見て幸せそうに見えない人は
もしかすると違う種類の
幸せを持っているかもしれない。
その人たちは
こちらが欲しい幸せになる
なり方はきっとわからない。
だから、その人の言うことに従っても
きっと、自分の欲しい幸せは
手に入らないだろうということ。
幸せは感じるものというけれど
幸せは「なる」ものではなく
「感じるもの」という言葉もよく聞く。
同じ状況でも
幸せと感じる人と
そうじゃない人がいる。
なぜなら、欲しい幸せが違うから。
何に幸せを感じるかは
人それぞれ。
本人はどうだろう?
先にあげた
親自身が満たされていなくて
子どもをコントロールしたがったり
退職するときに
抜け駆けは許さないと思う人は
違う種類の幸せすら持っていない。
幸せになるなり方は知らない。
言うことを聞く必要はない。
不幸かまってちゃんの存在
この人たちも幸せそうに見えない。
最初に書いた
誰かに話を聞いてもらって
気持ちが少し軽くなったり
頭の中が整理できて
立ち上がるきっかけにする
そんな人のように見える。
しかし
「不幸かまってちゃん」は
口では何と言おうと
本心では不幸を手放したくない。
(本人が意識してるかは別にして)
なぜなら不幸じゃなくなったら
かまってもらえないから。
不幸かまってちゃんは
いつまでも
かまってもらえる
不幸でいたいから抜け出せない。
それに関わる人は
自分がなんとかしてあげなくてはと
思い始めたりする。
そうでなくても
不幸な話ばかりを聞かされて
エネルギーを消耗する。
気をつけなないとお互い不幸。
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