失敗における2つの価値
失敗は成功のもと。
失敗には、成功と同じくらいの価値がある・・・etc。
これまでも、失敗の価値についてはあらゆるところで語られてきました。そして、ここ最近、その価値はますます上がっている気がするなあと感じています。
失敗の価値は、大きく分けて、失敗を伝える価値と実際に失敗をすることの価値に分かれていると考えています。
失敗を伝える価値
少し前に、パンと日用品の店 わざわざ の店主、平田さんのお話を読んでその考えは確信めいたものになってきました。
私たちは基本的に、失敗についてはあまり多くを語りたくない生きものです。これはもう、本能だと思う。自分がやっていること、関わっていることに関しては、失敗を認めたくない気持ちがやっぱり強い。
これは、失敗する=恥ずかしいと感じる日本の文化的な背景の影響が大きいのかもしれないけれど。
そのため、失敗に関する情報について知る機会はあんまり多くありません。Facebookを始めとするSNSでも感覚的に、ポジティブな投稿が多いような気がしています。転職や、新しい事業をはじめた話、出産やバースデーなど。
だからこそ、敢えて失敗を冷静に分析して、伝えていくことに価値がある。
失敗はそこらへんにたくさん転がっているから。SNSでのきらびやかな投稿の裏には、きっと数多くの失敗が隠されているはず。
大きな企業になると、株主の目もあって失敗を公に語れないと思うけど、私たちのような小さな法人だと、隠さないといけないことは守秘義務くらいだろうから、失敗の分析と共有はコツコツとやっていきたいな。
失敗の共有ってポジティブだ。
失敗することの価値
一方で、「そんな失敗ばっか共有してて、失敗する人だけが損するんじゃないの?」という声が聞こえてきそうです。でも、個人的には損だとは考えていません。
なぜなら、失敗した詳細な状況や原因をなぞることはできても、失敗した悔しさなどのメンタルな部分は追体験できないから。
失敗は強烈なモチベーションを生み出します。
あこがれや、楽しさももちろん大事だけれど、ちょっと難しいかな?っていうことにトライして、失敗を繰り返すことで人は成長できるし、何よりも失敗やそれによる悔しさは、強烈にそして長期間胸の中に残る。
必死で頑張って失敗したことも、必死になれてなくて失敗しちゃったことも。
辞めようか続けようか考える時や、ここが重要という勘どころ的な場面では、失敗のHow toよりも、失敗するかもしれないことに向き合う姿勢(メンタル)が大事になってきます。
そして何より、人の失敗から学んでばかりで自分で失敗しなければ、成長できる機会は永遠に訪れません。
喜怒哀楽の絶対値が大きいほど、人生は楽しい。
だからこそ、失敗から逃げずに、極度に恐れすぎにいきたいなあと思う今日この頃です。