スッカラとチョッカラ
韓国ドラマを見ながら韓国語を学んでいる。のんびり続けて11年になる。
今の住まいに引っ越したばかりの頃、夫と私は近所の韓国料理屋に通うようになった。
舞台監督の夫は、『韓国のさだまさし』と呼ばれる歌手のコンサートを一月後に控えていた。韓国人スタッフからの要求を聞きながら、日本人の夫が現場をまとめるのは、いつも以上に神経を使い苦労も多かったようだ。
ある日深夜に帰ってきた夫が、「一杯飲みに行こか」と疲れた声で言った。
「こんな時間にお店開いてるかな」と言いつつも、私は夫と出かけることにした。
シャッターの閉まった商店街を二人で歩く。少し行くと視線の先に明かりが見えた。
店の入り口に裸電球が灯り、その下に白菜や小松菜、きゅうりのキムチやインスタントラーメン、柚子茶など韓国の物産が並んでいる。脇の戸を開けると薄暗い店内にテーブルが2脚置かれ、奥の厨房から「いらっしゃーい」と声が響いた。中から坊主頭の男性が出てきた。汗の色が染み込んだTシャツに裾が擦り切れたジーパンを穿いている。
「今から大丈夫ですか」と尋ねる夫に、「いいですよー」とメニューを渡してくれた。
私は、たどだどしい日本語を話すこの男性に親しみを覚えた。
知り合いの居ない土地で暮らす私と似ている気がして、韓国からやってきたこの男性を喜ばせたいと思った。
それから私と夫は毎日お店に通い、私は韓国語のフレーズを覚えて彼に話しかけた。
テレビで韓国ドラマを片っ端から録画して、耳から入る韓国語と字幕を比べながら簡単なフレーズを覚え、彼の前で実際に使ってみた。
チヂミやチャプチェをつまみながら、テレビで聞き取りにくい言葉を彼に聞いたり、日ごろよく使うフレーズを教わったりした。アルミのお椀に注がれたマッコリを飲みながら、彼の話す日本語に私が韓国語で答えることもあった。
よく聞いてみると彼の日本語はきれいな標準語だった。日本語学校で学んだそうだ。それに引き換え私の韓国語はひどいもんだ。方言が混ざっていたり、敬語と友だち口調がごっちゃになったり、命令語だったり、時代劇の言葉だったり、発音がおかしかったりした。私が話すおかしな韓国語に彼はしばしばお腹をよじらせて笑っていた。
やがて私は、彼の作るキムチや総菜を買って帰り家でも韓国料理を食べるようになる。食卓には子どもたちの食べる日本のおかずと、私の食べる韓国の総菜が並ぶようになった。自分でも簡単な料理なら作れるようになり、子どもたちにも食べさせたりしている。
彼のおかげで、日本に居ながらにして韓流を楽しんでいるが、最近なんだか物足りなさを感じている。
今日も、朝から韓国ドラマを観ながら物足りなさの正体を探してみた。
テレビ画面に食事のシーンが映し出されたときひらめいた。
私は急いで大阪の鶴橋にあるコリアンタウンへ行き、銀色のスプーンと箸(スッカラとチョッカラ)を買って帰った。
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