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チューリップバブルの崩壊


1539年にトルコから初めてオランダに持ち込まれたチューリップの球根。珍しく美しい花であったため、人々の投機の対象となり、価格はどんどん上がっていきました。

1637年1月、チューリップの球根が20倍に跳ね上がります。

そして、2月にはそれ以上の幅で下落しました。

そこには合理的な説明は難しいのですが、価格があまりに高くなりすぎると、一部の人たちがここらあたりで売っておいたほうが賢明だろうと考え始めます。すると他の人たちがこれに続く。こうなると、後は急な坂を転げ落ちる雪だるまのようなもので、価格の下落は加速が付き、わずかの間にパニック状態に陥ってしまいます。

これを受けて政府の役人たちは、チューリップの価格がこれ以上下落する理由は何もないと公式に発言しましたが、耳を傾けるものはいませんでした。

そして、破産したディーラーたちが、一定の価格でチューリップの球根を買い取るというオプション契約の履行を拒否。

政府は、すべてのオプションを契約価格の10%で清算させる方針を立てましたが、球根価格はそれ以下となってしまっていたため、失敗に終わりました。

価格はさらに下がり続けて、ほとんどの球根はただ同然になってしまいました。

こうしてチューリップバブルは崩壊したのです。逃げ切れたのははじめに売ってしまったわずかな人のみ。誰もが予想しなかったバブル崩壊でした。

参考文献:バートン・マルキール著、井出正介訳「ウォール街のランダム・ウォーカー」原著12版