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育休終了ーーー
さあ、仕事復帰だ。
明日で丸1年。あっという間の育休やった。
毎日、ダメになるソファに座る私のお腹の上で息子が寝てたり、横でコロコロしてたり、座るようになったらバランス崩して頭ゴンしたり、最近はつたい歩きでキッチンに来てはトースターのつまみをくるくる回してる。
第一子が女の子で比較的のんびりマイペースだったので、第二子の息子には少し手を焼くか?体弱いのか?暴れ回るのか?と少し構えてたけど、うん、息子もマイペースやった。笑。
おかげで私も本読もう、ミシンしよう、走ろう、ネトフリ見よう、友だちと喋ろう、etc.
合間で自分の好きなことする時間を捻出して充実したのんびりタイムが取れた。
あざすー。
10月1日からはじまった慣らし保育も、毎日娘の送り迎えで出入りしてたからか、全く泣かないし。あれ?母のこと、ちゃんと認識してる?預けられてること気づいてる?って一瞬不安になったけど、一応迎えに行ったら立ち上がって近くに来ようとはしてたので、環境変化にさほど動じないだけなことが判明。
むしろ娘のほうが、弟が同じ保育園に来ることになってそわそわして、復職を見据えた朝の支度やお迎え時間の変化も含めて不安定になってた(慣らし保育後半、息子の保育時間が伸びて一緒に帰れるようになったら安定していった)。
うちは両親(子の祖父母)が共に県外に住んでるので、基本子育ては夫と私の2人でやる。たまに遊びに行ったり来たりはあるけど、お世話を頼むことはほぼない(来月夫婦で同じマラソン大会出るから、初めて2人を預ける!)。共働きなので、朝も夜も休日も2人でやりくりする。そういう家庭はたくさんあると思うけど、職場は理解があるほうなのでその点のストレスはない。おじいちゃんおばあちゃんの手を借りることがある人からは「大変だね」と言われることもあるけれど、余計な気を遣わず家族のペースで動けるという意味では、かなりラク。
なので子育てで一番大事にしてるのは、健康第一。食べ物や生活リズム、余暇、ぜんぶを健康第一で考えている。当たり前やけど、大事。
あとは、余裕も大事。復帰することで時間に制約ができるけど、それによりメリハリが出るか、疲れやストレスを溜めて削られるか、それはやってみないとわからない。
戻った先の仕事は、部署は同じでも事務量が多い役割になるので、苦手分野を主戦場にすることになるのが不安。てか、モチベーションが上がらない。でも、定時で帰りやすいんだよね。恵まれてる中での悩み。淡々とやるしかない。そう言い聞かせてる。
今日は保育園のお迎えのあと、娘が「ちょっとだけ公園いきたい!」と言うので、夕食の準備をしたかったけど、育休最後やし、家の近所の公園に行った。「ブランコじぶんでこげるよ!」と言って、いつもなら私に「おして〜」と言うところを、自分で大きくこいでた。ちょっと前までこぐタイミングが合わなくて足をバタバタさせてたのになあ。
丸いジャングルジムで、内側の鉄棒のように持てるバーでくるりんぱ、してた。年少さんになってしばらく経った頃、足がバーまで届くようになってた。
すべり台を滑ったら、朝降ってた雨が乾いてなくて「みて〜」お尻に砂が付いて濡れてた。『あーー濡れちゃってるじゃん〜』「パンツもぬれた〜」いひひ、と笑って階段のぼって、上から後ろ向きで降りてた。逆走はしてたけど、後ろ向きはいつ怖がらずにできるようになったのか(たぶん最近)。
公園の外灯が付いた。「でんきついたよー!」『ほんとだ。夜になったね。帰ろっか』「うん!ブランコ30回してかえるー!」いつものように、帰る前のブランコ30回、押してあげて、息子はそれをベビーカーからぼーっと眺めてた。お姉ちゃんが遊ぶのを見る(待つ)ことに慣れっこで、「あ゛ーーー!(暇)」と言い出すこともあるけど、最近は”はいはい、いまはぼくの時間じゃないですね”ってな感じで居てくれてた。
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これからもっと日が暮れるのが早くなるし、帰りも遅くなる。こんなふうにお迎えのあとに公園で遊んでから帰るのも、育休期間の特別な時間だった。近所のおばあちゃんちに来るときだけ一緒に遊べる女の子がいて、火・木曜日を楽しみに「明日はなんようび?」と毎日聞かれてた。息子のための育休だけど、娘と私のための時間でもあった。そんな時間も、一旦一区切り。
息子はつたい歩いては色んなものをひっぱり出すのが楽しそうだし、娘は毎日かわいいを追い求めて服を選んだりプリンセスごっこをしたりしてる。夫はマラソンに向けて筋トレをちゃんとすることにした模様。
私は、ひとまず次の生活リズムに慣れること。”生きた時間”を過ごすこと。
今日、復職前に返しに行かなきゃ、と図書館に行き、雑誌をパラパラめくってたら、茨木のり子さんの詩が出てきた。”自分の感受性くらい”の詩が好きなので、詩集を借りた。
そしたら、”ぎらりと光るダイヤのような日”という詩が載っていた。
その中の一節↓
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世界に別れを告げる日に
ひとは一生をふりかえって
じぶんが本当に生きた日が
あまりにすくなかったことに驚くだろう
指折り数えるほどしかない
その日々の中の一つには
恋人との最初の一瞥の
するどい閃光などもまじっているだろう
〈本当に生きた日〉は人によって
たしかに違う
ぎらりと光るダイヤのような日は
銃殺の朝であったり
アトリエの夜であったり
果樹園のまひるであったり
未明のスクラムであったりするのだ
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育休中は、子どもの成長を肌で感じられる、尊い”生きた日々”だった。そのなかのひとつに、毎日の公園があった。
仕事がまたはじまっても、そんな”生きた日”がたくさん作れるといい。タイミング良くいい言葉に出会えたことに嬉しくなって、明日からの現実、まずは朝遅刻せずに送り出そうと、今から(前日夜)そわそわ、どきどきしているのです。