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徒然文『1月17日に思うこと』

毎年1月17日になると、T君とその家族のことを思い出す。


小学生のころ、神戸市長田区にある祖父母の家に住んでいた。

僕は漫画を描くのが好きな少年だった。
同じ趣味を持つT君の家によく行き、二人で他愛ない漫画を描いては見せ合って喜んでいたものだ。

T君の家は、家族仲がとてもよかった。
そして、家族みんなが僕にやさしくしてくれた。

T君のおばあちゃんは
「甘い石ころやで」
といって、よく氷砂糖を口の中に入れてくれた。

素朴でほんわりとしたおばあちゃんの優しさを感じる甘さ、いまでもはっきりと覚えている。

T君のお母さんは、とても穏やかでやさしい人。
朝から晩までT君の家で遊んでいた僕に、いつもお昼ご飯を食べさせてくれた。

幼稚園のころ母親が出ていった僕にとって、理想の母親像はT君のお母さんだったといっても過言ではない。

毎日のようにずっと家に入り浸る僕なんて、いま思えば迷惑極まりないクソガキだっただろう。

そんな僕に対して嫌な顔一つ見せず、やさしく迎え入れてくれていたT君とその家族。

本当に感謝してもしきれない。心からそう思う。


月日は経ち、僕は神戸から引っ越すことに。
祖父母はまだ神戸に住んでいたので、長い休みに遊びに行ってはT君の家に訪れた。

しかし、中学生になると交友関係も変わってくる。

お互いに部活や勉強が忙しくなり、漫画を描くこともなくなった。

少しずつ疎遠になってしまうのは、致し方なかったのかもしれない。

現在のようにLINEで気軽に連絡して、という時代ではない。
携帯電話すらまだ普及していない、昭和の話だ。

高校生になり祖父母が神戸から引っ越したころには、どちらともなく連絡は途絶えてしまった。


さらに年月は経ち、大学を卒業して社会人1年目。


1月17日、阪神淡路大震災が起きた。


そのころ僕は、堺に住んでいた。
堺でも相当揺れ、蛍光灯が落ちそうなくらいグワングワンと揺れているさまは、今でも脳裏に焼きついて離れない。

揺れがおさまったところで、とりあえずテレビをつける。
当初は情報が入っていなかったからか、テレビでは「たいしたことない」といった報道だったが、時間が経つにつれ全貌がわかってきた。

倒れている高速道路。炎上している街並み。一階が潰れてしまったマンション。

まるで映画のセットを見ているようで、まったく現実味がない。

いっそ噓であってほしかった。


僕の住んでいた神戸市長田区の被害は、甚大だった。

どうなっているか心配ではあったが、見に行くこともままならず、テレビを見て無事を祈るくらいしかできない。


ほどなくして、NHKで死者や行方不明者のリストが流れはじめた。


そこに、T君と同じ名字を見つける。
女性の名前だった。


T君の名字は、たくさんあるものではない。
そして、長田区のリストに記載されている。


心配ではあるが、T君のおばあちゃんやお母さんの名前までは、僕は知らない。


亡くなった方にはたいへん申し訳ないのだが、T君の家族ではないことをずっと祈っていた。



あれからもう27年が経った。



テレビ画面に出ていたあの名前がT君の家族だったのか、いまでも知らないままだ。


この27年のあいだに、長田区には何度か訪れている。

僕の住んでいた頃と風景はかなり変わっているが、昔からそのまま残っている建物をみて、なんとなく安堵したものだ。


しかし、T君の家には一度も訪れていない。

T君の家は、いったいどうなっているのだろう。

あの名前は、T君の家族の誰かだったのだろうか。


僕には、真実を知る勇気はない。


T君の家族の記憶だけは、27年前で止めておいてもいいのではないか。
あらためて調べる必要など、ないだろう。

僕の知っているT君とその家族は、僕の思い描いているそのままに、今でも同じように生活を続けているはずだ。


僕の中ではそう結論づけている。


おしまい。



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