わたしのnoteを読んだ友達が 元気出たんだよって、数年越しに連絡をくれた だから書こうかな。 うれしくて 久々にnoteを開いて、記事を見返したらあまりに悶々してて そんなに悩んだり考えたりしなくていいんだょって笑っちゃうくらいだし だいぶ悲劇のヒロインしてたから 恥ずかしくなって何個か下書きに戻した。 多分、今から書く文章もいつかのちーに ふふってされちゃうね 変わりたい、変わりたい、が 変わる になった最近 自分が変化してることを実感して面白いんだけど、
乳児院、辞めることにしました こども、子育て、たくさん学ばせてもらった やっぱり、やってみないと、泣いてる理由も、ミルクの量も回数も、離乳食のはじめかたも、一口の量も、抱っこの仕方だって何もかもわからないのが育児 毎日やってても、わからなかったりするんだから 子供が生まれて、いきなり上手にできるわけないね 夜勤だと、眠い時の泣き声ほど、体に悪いものはないことを知ったりして すこしは、子供がいたことがないなりに 子育てをするおやたちの、気持ちが ほんの少しかもし
「ちーちゃんは、自慢のお姉ちゃんて感じじゃなくて、憧れの人! 」(手紙より) 今日は久々に日記をお届けします。 弟と2人でご飯に行ってきた。はじめて 仲悪くないんだけど、いつしかギスギスのおうちの中で2人の会話も減ってた 真反対の2人だから、家族に対する考えも少し違くて どうにかみんな幸せであれ とたかーい理想をもってがんばっちゃった私と 早くからもう変わらないよ と諦めてついでに自分自身のことも諦めた弟 私が家族をよくしようと思ってする行動は、弟にとって無駄な
ワーツのラジオ、きくのさ 今年もベリテンいってきました すきな音楽にひたひた 言葉では表せない幸せをがつん。と感じてきた グッとくる音楽も、耳が楽しい音楽も、おっきい声で叫びたい音楽も 全部全部すき 音楽に身を任せて、気分が良くなって、一緒にうたって ドラムの、ベースの、力強い音に心臓どくんどくんさせて 隣にはだーいすきなともだち(たまにはぐれるけど) 何回行っても、最高で また行く。がんばる て気持ちになりました で、帰ってきたらインフルなってた よーし 24
向き合う。これに尽きると思っていた なんにでも100パーセントの力で考えて、答えて、ぶつけて、ぶつかって そんな身も心もすり減るようなことを、 ただしいと思ってやってきた。 むしろ、これ以外は 逃げ、だと思っていたりして 23歳、気づいたらへとへとだった。 へとへとになってやっと気がついた。 ほんとに大事なことにだけ、力をたくさん注げばいいって いやなことに、わざわざ向き合わなくていい時もあるって まず、仕事からにげた 家族からもにげた ほんで、友達から
「先生、こどもすきなんだね」 今日、乳児院の子供を連れて薬局に行ったら、こんな言葉をかけてもらいました。すこーーーしどころか、とてつもなく嬉しかったので 4月からはたらきはじめた乳児院のこと、じっくり考えたいと思いました。 こんな子供達がいるんだよ 親御さんたち、命を守っているだけで立派すぎるんだよ 完璧にできなくたっていい、一人で頑張らなくてもいいんだよ って そんなことが、こどもとの向き合い方に悩んでいるだれかに 少しでも伝わったら嬉しいです。 乳児院ではた
作文 私が嬉しいと感じること 私が嬉しいと感じるのは、周りの人の笑顔です。綺麗事ではなくて、心からそう思っています。 なぜ、私の嬉しいは周りの人の表情で決まるのか、考えた事があります。昔から人一倍、人の表情の変化に敏感でした。親が不仲だったこともあり、空気の変化にも敏感になっていったんだと思います。 なので私は、明るい空気と周りの笑顔が大好物になりました。周りの人を笑顔にする方法を常に考え、笑顔だと喜び、笑顔じゃないと落ち込みます。つまり、気持ちのアップダウンがとても激
自分のこと少しずつ書いてみようかと思います 4人家族の長女として生まれました 父、母、そして5つ下の弟がいます 複雑な家族のこと、うまく話せるかわからないけど 自分でも全然よくわかってないけど わかったらいいなって 私と母 毎日100回ほどおこられていました 父はほとんど家にいなかったので母がひとりで育児を頑張ったからです 母はすこし、頑張りすぎちゃいました なので私は自分のことをダメな人間だと思ってしまいました 自信がほとんどありません 一歩、踏み出す勇気もありま
あたまの中がごちゃごちゃなので書いてみることにしました。 読みづらいかもですが 自分のあたまをクリアにするためにも がんばります (写真はフィルムでとりました☁️)