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一億総カオナシ

「なんかモヤモヤ」って気持ち。
それに形を全く与えずに、

「もやもやむしゃくしゃ」

って概念のままで放置していると、その気持ちたちは時間とともに自分の中でじっくりコトコト煮詰められて、最後には湯屋で暴れるカオナシさながらになってしまう気がする。

ある日突然爆発して、

自暴自棄になったり

誰かを傷つけたり

相談という名の悲劇のヒロイン独演会を開いたり

自分が信じているものだけが全てだと思ったり。

だから、 「羨ましい…」とか「むかつく!」なんて風に、少しでも自分の気持ちに形を与えること=自分の気持ちをほんのりとでも何かの言葉に当てはめる勇気を持つことって、心の健康に必要なことなんだと思う。

(言葉にするだけで解決するわけではないけど、解決や和らぎへの一歩目というか。)

そう、気持ちに形を与える=気持ちを言葉にする って、案外勇気がいることなのだ。
特定の感情を感じてはいけないとか、我慢しなければならないという思い込みがあったり、自分を直視するのが怖くて見て見ぬふりをしたくなったりもするから。

時として意外と精神力が試される高度な技、“気持ちの言語化”。

だから、 「なんかモヤモヤ」のもう一歩先、 「羨ましい」「悔しい」 「嫌だ」「ずるい」なんていうちょっと後ろめたいような黒い気持ちを自覚した時、はっきり感じられた時って、自分をものすごく褒めてあげるべき時なのかもしれない。

腹黒いような、どこか情けないような、子供じみていて恥ずかしいような。
そんな“気持ち”を感じとれるあなたは最高なんだよ。

そして、 誰でもカオナシになったことはあるだろうし、これからだってあるんだろうよ。

っていうかカオナシだってね、湯屋で暴れる姿だけが彼じゃないもんね。

みんな一生カオナシちゃん。

余談
人によっては「嬉しい」「楽しい」なんていうポジティブな気持ちさえも、後ろめたいものとなる場合があるよね。私も昔はそうでした。
「私はこの世に執行猶予つきで生まれてきてるんだから、あまり楽しみすぎてはいけない、喜びすぎてはいけない。自分の存在が罪であるということを自覚して生きていかなければならない。」って本気で思ってた。
うーん、タイムマシーンに乗って救いに行ってあげたいわ。

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