社会人1年目の私。
昨日、キリンビール/KIRIN BEERさんが開催していた「社会人1年目の私」というイベントに行ってきました。
私の大好きなライターさんである桜林(サクちゃん)さんが登壇するということで、すぐに応募しました。LIVE配信もされていたようです。↓
4月に新社会人として働き始めた私にとって、あたたかく胸に響く言葉で溢れていたイベントでした。
今日はせっかくなので、社会人1年目に入ったばかりの今の思いをnoteに残しておこうと思います。
「夢組」か、「叶え組」か。
桜林さんを知ったのは、確か去年の今頃に読んだこのnote。
世界は「夢組」と「叶え組」でできている。
これを読んだ時に思ったのは、「どちらかというと私は夢組かなあ」ということでした。昔からやりたいことや好きなことははっきりしている方で、頭の中はいつも感情でいっぱい、思い立ったら即行動!こんな性格だったように思います。
本気で飛び込むことがいつも怖かった。
ここから少し過去の話をします。とてもかっこ悪い自分の話。
去年はちょうど就活中。やりたいことがいくつかあって、熱い思いが溢れていた私はどこかに少し自信がありました。この思いを伝えれば大丈夫だ。そんな風に思っていました。
そんな中、就活は思うように進みませんでした。自分の弱い部分をズキズキ刺される面接。
「思いは伝わって来るけど、私は(あなたが)利己的だなと思った。」
これは面接官に言われた、忘れられない言葉です。
「やりたいことが分からない」という人も多い中、「やりたいことがある自分」を何にも凄くないのに心のどこかで誇らしく思っていた傲慢さ。そして、実際に死に物狂いで食らいつく度胸はなかったこと。頭と口でしか語れない薄っぺらさは、伝わっていたのでしょう。
範囲を絞っていきたい会社しか受けていなかった私は不安でいっぱいになり、しまいには選考にも行かなくなってしまっていました。
「本当にやりたいことじゃないかもしれないから。」
「自分よりも沢山思いの強い人がいるから、自分がやる必要はない。」
「私は熱しやすく冷めやすいタイプだから仕方ない。」
そんな、かっこ悪い言い訳は沢山思いつきました。
熱い思いが溢れる。ちょっと勇気を出して片足を突っ込んでみる。
怖くなって引っ込める。
そんなことを続けていたような気がします。
「〇〇の力になりたい。」「〇〇を助けたい。」という思いでいっぱいでしたが、本当は「自分のため」で溢れていたと、後から気づきました。
とても未熟でした。大事なことを気づかせてくれた面接官の方に感謝の気持ちでいっぱいです。
これが「社会人一年目の私」です。
その後、気持ちを新たにもう一度就活を始め、今はご縁のあった会社に入って働いています。
コンサルティング、システム開発、教材作り、色んなことをやっている会社で、本当にありがたいことに凄く幸せに働いています。(6月まで研修だったので実際にまだ働いているとは言えませんが……。)
ちょうど昨日配属が決まり、思いがけず自分が昔から好きだったことに関係する部署に入ることになりました。今は、本当にありがたい気持ちと、貢献するぞ!という気持ちで溢れています。
今の目標は、目の前のサービスを届ける人々の力になること。価値を与えられるような人間になりたい。そう思います。
目の前のことを一生懸命に、謙虚に。
「人のため」と「自分のため」
まだ働いているとも言えない自分にとって、昨日のイベントは心に残る言葉が溢れていました。
一つ目は、サクちゃんさんが言った言葉。
「仕事は『人のため』『自分のため』どちらか一方だけでは成り立たない。」
「自分のやりたいことだけ」というのは、とても利己的ですし、成り立たないことが多い。
そして、「誰かのため」と思っていても、実際には自分を守るためのエゴだったということもある。そしてそういうことには、大抵後で気がつく。
今置かれている状況に感謝して、「自分に今何ができるのか」「どんな価値を与えたいのか、与えられるのか」ということを、考え続け、今できる精一杯をしていきたいです。
他の人と自分の能力を比べても、目の前のサービスを受け取る人には関係ない
もう一つ心に残ったことは、KIRINで働いて2年目の守谷さんが言っていたことです。(一言一句は覚えていなかったので、思い出しながら。)
「会社の先輩や同期と比べて自分は出来てないんじゃないかと落ち込むこともあったけど、いくら比べても、それって目の前のサービスを必要としている人には関係ないなと。関係あるのは、『目の前の人の役にたつことが出来たか』そして『価値のあるものを届けられたのか』、ということだと気づいたんです。」
誰かと比べて自分が劣っているか優れているかということではなく、「自分がその人に価値を与えられているかどうか」か大切なのだと気づかされました。
なぜ成長するのか。
今までは、息詰まった時に「何でこんなことをしているんだろう。」「そもそも何で成長しなくちゃいけないんだろう」と、分からなくなることがありました。
しかし今では、正しいかは分からないけれど、自分の中で一つ答えが出ているので迷うことはなくなりました。
それは、自分を含め、周りの人をより幸せにするために成長するのだということです。
成長することはゴールではなく、手段であるということ。
「幸せになるために」というと抽象的な言葉ですが、私にとってとても意味のある、意志のある言葉です。
自分を含め、周りの人がより幸せに生きるために。
成長すればするほど、より多くの人を幸せにし得る。
あるいは、ある1人の人をより幸せにし得る。
もしかすると、その対象は「人」に限らないかもしれません。
最後に
チャーリーさんの言っていた、「自分の好きなことへの火を燃やし続けること」。「一旦火が消えてしまうと、もう一回燃やすのはとても難しい。」ということは、とても身にしみています。
一年前に溢れていた思いが、今では少し言いづらい気持ちもあります。でも忘れてはいません。忘れてはいないし、むしろ強くなっています。
これからは、何となくではなく、知性と覚悟を持って。静かに少しずつ、謙虚に、でも確実に。成長してしていきたいと思います。
一年後どうなっているか、楽しみです。
写真は、社会人になったばかりの、桜が満開の頃に撮ってもらったもの。