「職場でちょっと優遇されることについて」
「あのヒト、ねこたろうには対応良いよね」
と職場で言われた。
以前にも何度か。職場で上司とやりとりした後に、それを見ていた他のスタッフに言われた。
何のことだろう?と思って訊いてみると
「おはようございます」「おつかれさまでした」みたいな挨拶だったり、わからないことを質問したあとに、上司からの ”プラスひとこと” のことを指しているようだった。
「おはようございます」のあとに「今日もよろしくお願いします」が
「おつかれさまでした」のあとに「また明日も、よろしくおねがいします」が
質問への回答のあとに「今度一緒にやりながら説明するんで」が付く。
“それをねこたろう以外にやっているところを見たことがないよ”
ということなのだろう。
たしかにそうかもね。
たとえば自分でも「俺あんまり怒られないなぁ」とかは思っていた。自分と同じミスをした他人がめっちゃ怒られている場面を遠くから見て「あ…」てなることが結構ある。
自分なりの考察
「なんでー?私にはあんな風に言ってくれないのにー」と言われて、自分でも「何でだろう?」と思って考えてみた。思いついた仮説を2つ書いてみる。
仮説① 上司が気をつかってくれているのではないか
僕は職場で口数が少なく、特別仲の良い相手もいない。その様子を見た上司が、僕が孤立しないように声をかけてくれているのではないか…というものである。
僕は昔いわゆる優等生で、授業中におしゃべりできないタイプだったのだけれど、その名残か、おしゃべりしながら仕事をすることができない。職場が協力して仕事をこなすためのコミュニティであるとはいえ、普通に挨拶して軽くおしゃべりくらいするのがあたりまえと思うし、そうやって徐々に打ち解けてチームワークが育まれていくものだと頭ではわかっているのだけれど、仕事中に仕事以外の話をするとなんだかソワソワしてしまう。仕事上のコミュニケーションにちょっとした声かけをプラスしたりすることはできるんだけども。なんなんだろうね。
そんなことで、僕は《素性はわからんけど黙々と仕事をこなすマン》になることが多い。
今の職場はみんなそれぞれ和気藹々とやっている。その中にあって僕のキャラは目立つのかもしれない。それで上司が「ねこたろうは寂しい思いをしていないだろうか?」と気にしてくれているのかもしれない。対して、今回声をかけてくれたスタッフはリーダー的存在で仲良しが多い。そのままやっていける強さを、少なくとも僕は感じている。それで生じた対応の差なんじゃないか。
仮説② 相手がこちらのスタイルに合わせてくれているのかも?
僕が丁寧に対応したことで、相手が丁寧に返したのでは…という仮説。
前述のとおり僕は元優等生なので、いちいち対応が丁寧である。
今回言われたこれら↓
「おはようございます」のあとに「今日もよろしくお願いします」
「おつかれさまでした」のあとに「また明日も、よろしくおねがいします」
質問への回答のあとに「今度一緒にやりながら説明するんで」
あまり気にしてなかったけど、僕自身が普段から言ってた。
それで単純に ”なんか丁寧なやつ” のペースに合わせて接してくれているだけなのでは?と思った。
一方、今回声をかけてくれたスタッフは適度なラフさがあるヒトで、上司も適度なラフさを持ってコミュニケーションしている。打ち解けた感じがして僕は羨ましい。
そう考えると「うちの上司はできたヒトなんですよ、相手に合わせて気づかいができるんだから」という考えに落ち着いたので、今度「ねこたろうには対応いいよね」と言われたらこのように答えようと思う。
また別の問題
この件は終了。
なのだけれど、文章を書きながら気になって仕方がなかったのが
「”おしゃべりできない”ってどうなのよ?」ということ。
これは折にふれて僕を悩ませる話題なのだけれど、僕は自分が優等生ムーブで黙々と仕事をすることに対して「イケてないなぁ」と感じる。学校やこれまで勤めた会社で受けた教えに拠ると、模範的ではあるのだけれど「自分、ひどくつまらない人間だな…」と思ってしまうのだ。
それに和気藹々とやっているの、いいじゃないですか。お互いを知っている同士がいるのが羨ましいし、単純にわちゃわちゃ楽しそうにやりとりしているのを見ているのは気持ちが良い。息の合ったチームワークでこなす仕事を見て「さすが!」となったりしている。
きれいな鳥か何かだと思ってしまう
そんなことで、今日もモヤモヤを抱えつつ、楽しそうにしているヒトたちを「きれいな鳥たちが遊んでいるよ、かわいいなぁ」という感じで遠目に見るばかりである。たまに話しかけられて一緒におしゃべりしたときには「きれいな鳥とおしゃべりできたよ。今日はツイテるなぁ。」と思う。是が非でもきれいな鳥の仲間に入れてもらおうとはならない。
僕は「今日こんなことがあってさ〜」とか、「聞いてくれ、俺の推しのことなんだけど」みたいな話をしない。というかできない。そういう文化がないというか「聞いて聞いて」とならないし「愉快な気持ちをお裾分けしよう」みたいな気概を自分に感じない。鳥たちの邪魔したら悪いし、とか思っちゃう。《きれいな鳥たちを邪魔しない私であること》を僕は大事にしているのだ。
とはいえ、この件で少しでも悩む気持ちがあるのだから、僕も心の奥底で《自分のことを聞いて欲しい気持ち》や《一緒に愉快な時間を過ごしたい気持ち》を持っているのだろうなぁ。いつのまに?どこへ行った?気概よ。
そして、本当はどっちが大事になんだろうね。相手によっても変わるかな?
複雑である
悩みは降りかかってくるのではなく、自分でつくるものなんだなぁ…というのを改めて感じる一幕であった。声をかけてくれたヒトから見て、私は ”優遇” されていて、そのヒトは「ねこたろうは大事にされているね、よかったね」と言ってくれていたんだと思う。僕は「そっすね、ありがたいです、なんでかなぁ?」と笑って返したらよかったなぁ、と思った。
実際は「キャラが微妙でイジれないだけですよ〜笑」と言いながら「じゃあ一回交換してみるかい?」なんて意地悪なことを思ってしまう。けれど仮に交換したとして、そのヒトは僕のポジションを楽しむのだろう。ならば、自分の中の気持ちは一旦置いておいて、僕はそのくらいの良い目にあっていることを一旦受け入れた方がお得であるような気がした。
ままならない自分との付き合いは続くけれど、頭の片隅で「でも、いいこともあるよ」というのを、いつでも忘れないでいたい。
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