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「永遠」と「機械の身体」

(タンサンは単三・・・!)

・・・・・・・。

(あっれェ〜?アレアレ〜?「タンスゥ〜?」)

・・・・・・・・。

(プ・・・ププ・・・)
(プぎゃーーーーーッ!アハハハ、外したッ!!せいっだいに外したァーーーーーーッ!なんだったら他の考察勢も結構当ててんのにッ!アハハハハハハ、フ、フツーにタンサンっつったら単三だろォーーーー笑)

・・フ・・・・

(フ?)

フ・・・グス・・・

(エ?)

フ・・・グス・・・

(エーーーー?そっちーーー?
うっそーんー、オマエそんなメン弱かァ〜?)

・・・ウッ・・ウッ・・

(ハァ〜〜?
なんだよー、小芝居要らねーんだよー、サッサといつものやれよォー、フォロー真に受けて「だよなァー?」とかさ)

・・・・・グス・・・

(ンだよしゃーねーなー、
イヤ、いんじゃねえの予想外しても、誰も期待してねーんだし、そもそも全世界に恥を晒したってワケでもねーじゃん。あ、それはそーいうワケか。
つーかオマエだってあえて確率低い大穴を、他の考察も読み漁った上でワンチャン狙ったんだし、泣くようなコトかよォー)

フ・・・グス・・・

(ちゃんとあるんだろ?あえて単三電池説にしなかった理由が)

・・・グス・・コクン・・

(言ってみ?言い訳とか言わねーからさー、ちゃんと説明してみ?)

・・・・・ウッ・・わァ・・・

(ハァーめんどくせ。
だからさー、タンサンって言われてすぐ炭酸に思い当たらなかった葉っぱたちが、タンサン=別の「タンサン」って思ってるコトは予想出来たけど、単三電池は候補から外したんだよな。なぜって電池の抜き差しが出来るなら「ずっと暗くて寒いとこ」なんてしなくても電池抜くなりすればいいし、そもそもそれじゃ不老不死じゃないじゃんって思ったんだろ?
全部オレが代弁しちゃってるけど・・・
そんで他の考察勢にその予想が多かったから、ユダヤ人の生存戦略「10番目の男」ルールで、自分は別の予想をしなきゃって思ったんだよな?

まあ正直大穴狙いに行ったとこはあるからさー、自業自得っちゃあそうだけど、けど予想が外れたからどうこうっつーのはねーんだよ、なんの責任もねー。そもそもリスクがねーんだし、バカにされたところでソイツらがバカ晒してるだけのこったろ。

な?そう考えたらたいしたことねーし、ホラ今展開ヤバいだろ、二枚葉っぱが電池で動いてたってことだぞ?「人魚食べると出来るやつ」は電池スロットだったってことで、しかも単三限定とか笑えるだろ。セイレーンも犯人を知って動き出すしな。
こんな超展開に、グスってる場合じゃねーだろ。
)

グス・・・グス・・・・・・

(あーもう、だからな、

人魚食べて「永遠のいのち」の内実は、人魚食べたらお尻に電池スロットが浮き出て、電池交換し続ければ永遠に活動出来るってことだったんだぞ?
こんな「永遠」が「絶えることなくともだち」なのか・・・
ってこのテーマ、完全に「銀河鉄道999」だろ!

あー知らない読者のために銀鉄のあらすじ書いとくとさ、



以下ネタバレ



近未来、富裕層だけが強く朽ちない「機械の身体」を手に入れ、貧しい人々は生身の身体のまま機械化人たちの迫害を受けていた。
スラムに住む少年、鉄郎は、タダで機械の身体にしてくれるというアンドロメダ星に行くため謎多き美女メーテルにいざなわれて銀河鉄道999号に乗り、それぞれの停車駅で様々な人物と交流しながら旅を続ける。旅の途中、幼少時に母を殺した機械伯爵=父親への復讐を果たすなどを経て、生身の人間や機械化人の苦悩と喜びを知り、自分の抱いていた「機械の身体」への憧れや「永遠」の意味が次第に変化していく。
たどり着いたアンドロメダ星で、鉄郎は、自分が機械女王とこの星の生きた部品となるため選ばれて連れてこられたという事実を知るとともに、機械の身体になってまで永遠を得ることの悲しみと、生身の身体だからこそ懸命に生き人を愛せるという真実に気付く。
あわやというところでメーテルの反逆により女王とアンドロメダ星は消滅し、メーテルとの別離を経て鉄郎は青年へと成長していく。

ちょっと長いか。けどこんな話よ。
この物語のテーマとして、鉄郎が学んでいくのは、限りある命だからこそ悲しみや苦しみに向き合わなければならない現実、そして限りある命だからこそ懸命に生きる価値があること、そのふたつは表裏で一体であることだった。

コレってさすごく「ちいかわ」っぽくない?
イヤ本当は逆だってわかってるけど、今のちいなら鉄郎みたいにその真実に気付くんじゃないかって思っちゃう。ハチはすぐ、機械の身体もイイよ!ってなるけどさ、あの子どっかで理論上は不可逆とかないと思ってるからな。
ちいは流されやすいけど、臆病な分だけ慎重で、いざという時には揺るがない気持ちで大切なものから目をそらさない。そういう強さが、ちいにはある。
でね、ああ、ちいって旅をしている鉄郎と同じなんだって思ったんだ。鉄郎も「機械の身体を手に入れて失ってしまうものは何だろう?」とか「やっぱり機械の身体になる方がイイじゃないか」って迷ったり悩むんだわ。いつも迷って間違えて、悩んで、選び取って、その結果をちゃんと引き受けながら、泣いたり笑ったりして成長していくんだわ。

ループ編では「悲しみや苦しみがなく、その引き換えに成長も変化もない繰り返しの永遠」を拒否して未来に踏み出したちい。
次に運命(ナガノ)は、それならと、
島編では、「今の身体を捨てれば、変化や成長もあるかもしれない、絶えることなくともだち、を生きられるとしたらどうする?」というこれまた難しい問いを突き付けて、「そこでちいは何を思うのか、何を選ぶのか」を描こうとしている。
もちろんこれは、さかのぼれば妖精編でも入れ替わり編でも繰り返し、主人公と読者に突き付けられてきた問いだ。

今の身体を捨てて機械の身体になって、本当に変化や成長があるのかどうかはわからない。なぜなら生身だからこその悲しみや苦しみが消えることで、それを糧とした成長も失われるだろうから。
モモンガならこの「永遠」を嬉々として受け入れるかもしれないが、そこでキーパーソンとなるのが古本屋さんだろう。「ともだち」は、今の生身のままのモモンガを受け入れて、一緒に限りある日々を重ねていくこと、共にキラキラした喜怒哀楽の中で成長することを望むだろうから。

「ちいかわ」という物語は、だからと言って「機械の身体」で生きることが、感情のない偽の人生だとも、価値のない生であるとも言い切ろうとはしない。失うものもあれば、得るものだってあるはずで、その描き方がナガノならではの表現になるだろう。
この、道徳的なテーマに落ち着いたり、教示的になったりしないのが現代のマンガっぽいが、ナガノは「絶えることなくともだち」という願いを主軸に、漫画家として「銀河鉄道999」を継承し発展させようとするはずだ。
現に、機械化による永遠を選び取った当の葉っぱたちは、その倫理に反した入手方法により窮地に立たされてはいるものの、「絶えることなくともだち」を手に入れて生きている。機械の身体自体には、電池交換の不便さはあるかもしれないが、今のところ良いも悪いもないんだよな。

)フ・・・グス・・・コクン・・・(

単三をスロットに嵌め込むところを見てしまったちい。
「人魚食べたらできるやつ」についてセイレーンから聞いているラッコならその場で全てを察するかもしれないが、ちいにとっては驚愕の展開、突然の「初ロボット」であり、1枚葉っぱの雰囲気に「決して人には言っちゃいけないコト、特に島民には・・・」と感じ取るかもしれない。この秘密とこの「ともだち」をちいハチがどう扱うのか。ハチなんてもう「かばってくれたせいで・・・」とか盛り上がってるしな。

何にせよ、これで2枚葉っぱが「人魚食べた」ことが確定した。コテ線なしの表現が示しているものが、どうやら「機械化」だとなってくると、1枚葉っぱは人魚を食べていないことになる・・・つまり、2枚葉っぱの単独犯か・・・!ほら、そこは当たってたかもしんねーぞ。

)フ・・・グス・・・?(

なぜ人魚を食べたのか、というその理由や経緯についても注目するところだし、ちいかわに選択を突き付ける意味で「機械の身体」のメリットとデメリットも描かれていくだろう。
罪の印を意味する「機械の身体」は、周囲に知られてはならない秘密であり、人魚という禁断の果実を齧って得た秘蹟である。ただ、禁忌を破ったことの後ろめたさを「永遠」と引き換えのデメリットとして描いてちいかわに拒絶させたとしても、「では後ろめたさなく機械の身体と永遠のいのちが手に入るとしたら?」という問いが残されてしまう。
だからここはやはり、機械の身体になって得た「永遠」の恐ろしさや、コテ線消去に見られるような失われてしまう感情などの「永遠」の獲得による直接的な喪失を、裏返しとしての「限りある生だからこそ懸命に生きることの尊さ」とセットにして描いた上でちいに選択を迫る、あるいはちいの心象で対比させるという展開が求められているはずだ。

にしても、これが「永遠のいのち」と言えるのかよ、もの知り博士。
単三電池が外れたり電力がなくなると活動を停止し、電池を入れ替えることで活動を再開する。それは生命の活動と呼べるのか。
それをまともに評価しようとしたとき、立ちはだかるのは「ちいかわ世界」の住人達はどこからきてどこへ行くのかという、つまり出生の謎と生きる意味である。
性別のない「ちいかわ」においては、有性生殖により「命をつなぐ」ことが描かれないことで、主人公ちいにもハチにも、ちいかわ族やキメラの誰にも、あの世界での「食べる・食べられる」を中心に「暮らす」という、それ以上にいのちを定義すること、発展させて想像することの難しさがつきまとうのだ。今のところ、ともだちは描けても、家族や兄弟は描けない理由がそれだ。

その「ちいかわ世界」の設定が主題に縛りをかけるという難しさにも臆することなく、「ちいかわ」は最高の作品だと惚れ込んで、同じマンガ好きのナガノに向き合って、失敗やあざけり、顔の見えない誰かの言葉なんて恐れずによォ、あえて考察の範囲を超えた「解析」に踏み出したのが、オマエなんじゃなかったのってコトだよ。

)フ・・・・グス・・・・(

・・・・・

)コクン・・・(

それでいいんだよ手間かけやがって。いいから書けよな。な!!)

・・・・コクン!



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