「誰かの人生を少しでもいい方向へ」変えてくれるアイドルの話
今から4年ほど前、自宅からスーパーに向かう大通りにかかる歩道橋が撤去された。
第一子の育休中だった私は、その道の前を散歩でよく通っていた。見るからに古くて柵の低い歩道橋を使うことはそう多くはなかったけれど、なくなってみれば確かに少し不便な気がするから不思議だ。たった数メートルだけ先の横断歩道を渡らなければ、その道を越えることは出来なくなる。その結果、それなりに大きな通りだというのに、車通りの途切れた隙を見計らってそこを横断する歩行者を見かけるようになった。
危ないし、子どもが見て真似したらどうするんやろ、と思う。私は仮に急いでいても、誰も見ていなくても、青信号で横断歩道を渡る。(もちろん世の中の大半の人がそうしているしそもそもそれが当たり前のことだ。)とはいえ偉そうにそんなことを言いながら、普段から人に誇れるほど行儀良く生きているわけではない。
そんな私がそれだけは守るようにしているのは、大好きなアイドル川尻蓮くんもそうしているからだ。
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2019年の冬、妊娠初期の私は猛烈な吐き気と頭痛でまともに働くことが出来なくなっていた。コロナウイルスが本格的に流行りはじめる直前のことである。
食事ができなくなり、水が飲めなくなり、あれよあれよという間に廃人のようになった。担当顧客のいる営業職のため、なかなか仕事も休めない。コロナウイルスが本格的に脅威認定されてからも、不特定多数のお客様と接する毎日だった。あの頃は皆がそうだっただろうけれど、私はいつもより神経質になっていた。今思えば必要以上に大きな不安だったのかもしれないけれど、日々着々と心身共に疲弊していったのを覚えている。
幸か不幸か、定期検診で切迫流産(安静にしていないと母子に危険が及ぶ状態)の診断が下り、休職することになった。そのうち会社からも妊婦や呼吸器疾患のある社員は自宅待機するようにと正式な通達がきて、そのまま私は早めの産休に入ることができた。
とはいえ体調が良くなるわけではない。ひたすら自宅のソファの上で時間を過ごした。匿名ラジオを聴き吐いて、あつ森をして吐いて、を繰り返す日々である。仕事をしていない罪悪感もあり、趣味の落書きもしなくなった。誰にも会わないし、誰とも喋らない毎日だ。早めに県外の実家に帰省しようかとも思ったが、当時はまだ県を跨いだ移動は危険視されていて、病院側も里帰り出産を受け入れてくれるかどうかもわからない状況だった。
そんな日々の中で、明るい気持ちにしてくれるのはやはり物語である。元々映画やドラマが大好きな私は気分の良い時に流しっぱなしにできるコンテンツを探した。幸い、私のツイッターには同じようにドラマや映画が好きなフォロワーがたくさんいる。観るものが尽きそうだと気付いたその日のうちに「おすすめの映画やドラマあったら教えてください」と呟いた。
フォロワーのおかげであらゆるジャンルの情報はすぐに集まった。お察しの通り、そのいくつもの作品の中で、あるフォロワーに紹介されたのが「PRODUCE 101」だった。なにやら若い男の子を集め、競わせる番組らしい。
サバイバル番組は観たことがないし、二十代後半まで生きてアイドルを好きになったことは一度もなかった。多分、リアリティショーも苦手な気がする。けれどそのフォロワーさん含めて数人、私のタイムラインでその番組の誰かの話をしていたのは記憶にあった。たしかその頃は既にデビューメンバーが決まった直後だったけれど、私はその結果をかけらも知らない。
いつもなら観ないようなのも挑戦してみるか。時間はたくさんあるし。そう思ってGYAOをダウンロードした。今思えば、冒険をしない自分にしては割と珍しい行動だ。そうして普段は絶対に観ないであろうそのサバイバル番組を、ほんの気まぐれで観始めることになったのだった。
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とはいえ、PRODUCE101ことプデュのことをまったく知らなかった私。よく分からぬまま検索して出てきたプエク(PRODUCE 101 X 、韓国で行われた)から観始めてしまう。これも面白かったけれど顔が覚えられずに苦戦した(ヒョンジュンが可愛かった)。途中で「おすすめしたのそれじゃないよ 日本版だよ」とフォロワーに言われて気付き、潔く視聴リタイアとなる。
そこで改めてPRODUCE101 JAPAN(通称日プ)との出会うこととなった。やはり本編の長さにビビるものの、プエクより顔の見分けが付くからか最初の感触よりもずっと観やすく感じた。
一度見始めると本当に面白くて、夢中で視聴をすすめた。第一印象では長すぎると思ったことも、逆に嬉しく感じるくらいに見応えがある。最初は全く覚えられないまま観ていた男の子たちも、そのうち「この子は覚えた」「この名前知ってる」になっていき、番組の中盤までいくとお気に入りの練習生も出来た。「〇〇はやっぱり上手いな」「●●の顔が良過ぎる」と画面に映ると嬉しくなる。
けれど、この時点では熱狂というにはまだほど遠い。この頃の感想を振り返っても、今の推しである川尻蓮くんについてはほとんど触れていない。
ただ、ツカメを観たときの外見の印象で「こんなオラオラ系の子が一番なんだ」と思ったせいで、実際番組内で話している様子を見て驚いたのは覚えている。「LDHっぽい、いかつくて強気なカリスマ」から「声の優しい、柔和で丁寧な男の子」という印象に変わったし、番組上での全ての発言と行動を間違わない点ではきっと頭の良い子なんだろうなぁと思った。
※当時一緒に観てくれていた友達とのLINE
もともと判官贔屓の傾向があるせいか、番組の『主人公』ポジションに据えられがちだった蓮くんや豆ちゃんは無意識にスルーしていた。私がいなくても大丈夫、みたいなありがちな心理である。
なんやかんやでしっかりハマり、プデュの再生も二周目に入った。夫には「何度観ても結果は変わらないのになぜ」と言われたが、顔や名前を覚えてからの二周目は二周目ならではの楽しみがあった。
その頃、お腹の中の子どもが男の子だと分かった。なぜか女の子しか産まれないと信じていたので、男子の名前を考えていなかった。それからは「良い名前無いかな……」とプデュを眺めることになったのは、良い思い出の一つである。
夏がきた。
名前は決まらぬまま、息子がこの世に誕生した。
それからは毎日があっという間で、一ヶ月が経ち、二ヶ月が経ち、気付けば秋も過ぎて冬がきた。息子は今思えばよく寝てくれる子だったので、時間を見つけてはTVerやサブスクでドラマや映画を観た。あんなにハマっていたプデュの関連動画もこの頃にはもう見尽くしていた。
JO1というグループ名で活動をしている11人の中には私の応援していた子は含まれていなかったから、わざわざどの番組に出るかまで先んじてチェックをするほどではない。テレビで見かけて、あ、出るんだ、と録画することはあったけれど、一度観たら消してしまうくらいの「まあまあ好き」「がんばってるね」の距離感だ。
そんなある日、子供の昼寝や夜泣きの時に観るコンテンツがまた減ってきたことを感じた。気まぐれにYouTubeやTVerで「JO1」と検索して、配信があったら観るようになった。今よりずっと番組出演は少なかったから、たいていすぐに観終わる。それは気軽につまむような感覚だったから、育児中の私にはちょうど良かったのだと思う。
そうして久々にちゃんと観ることになった彼らになぜか新鮮な印象を受けた。オーディションを観て勝手に知った気になっていたけれど、デビュー後の彼らはあの頃と少し違う気がする。かっこよくなったし、なんか、可愛いなぁ、と思った。頑張っている姿が健気で、微笑ましかった。華やかな外見をしているくせに、なぜか毒気が無いのだ。それも疲れた心にはちょうど良くて、特に観るものがない時は彼らを観るようになった。そのうちなんとなく、JO1が足りないな、と思うようになった。そうしてJO1HOUSEに手をつけた。
この時点で特定の好きなメンバーがいたわけではない。強いていうならば大好きなシックスパックス出身の純喜かな、くらい。歌上手いし、顔が好きだし、個人的に勉強出来る人が好みだし。豆ちゃんは本当に好青年。碧海は元気で可愛いな。川西くんの目の形綺麗だな。みんな平等に好きだし、これが箱推しってやつかもしれない。平日の昼間にiPadで動画を垂れ流し、抱いた息子の背を叩いて眠らせながらそう思う。
ふと画面を観て、あれっ、と何かが引っかかった。いや、そんなにはっきりとした瞬間があったのかは今となっては定かではないのだけれど。iPadの画面にはまるでお人形みたいにすらりとした体型の男の子がいた。蓮くんだ。
オーディションの時には勝手に長身だと思っていたけれど、メンバーの中にいる彼はそんなに大きな方ではなかった。頭身のせいで勝手に勘違いをしていたらしい。あのシュッとした顔のクールそうな男の子は、今も画面の中で変わらずシュッとしていて、けれどなぜか受ける印象は昔よりずっとやわらかかった。よく笑うし、まわすし、ちょっとふざけるし(ボケは独特だし)、嬉しそうな顔をするときにほっぺがまるい、と気付いた。
続けて観たパフォーマンスの動画でも、蓮くんに目がいった。グループの真ん中にいようと端にいようと、ステージの傍にハケていようとも、全ての身のこなしが綺麗で目が離せなくなった。踊る姿が、気持ちが良いくらいに格好良い。釘付けになった。
川尻蓮くんって、ここまでダンス上手いんだっけ。こんなに手脚がながくて、こんなにニコニコしてて、こんなに楽しそうにおしゃべりする子だったっけ。……こんなに、めちゃくちゃ可愛かったっけ。
なんで今まで気付かなかったんだろう、この子めちゃくちゃ可愛いんじゃん。
そこからはもう、ご存知のとおり彼に夢中である。
明確なきっかけがあったわけじゃない。ドラマティックな瞬間もない。なんで今さら、こんな変なタイミングで、と自分でも不思議なくらいゆるやかに、じわじわと彼の魅力に気付いて落っこちた。
これが、私の地味で面白みの無い「沼落ち」の流れである。
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プデュを観てからここまでくるのに遠回りした私。しかも、なぜかここで一旦冷静になろうとする。ファンになる、ということがなんだか気恥ずかしかったのだ。アイドルを好きになったことはないし、まだそうなるとは思えない。応援の仕方も分からないし、私には丸っきり異文化だから。きっとそこまでの熱意を捧げるほどになならないはず。そして自分の経験則から、絵を描きだしたら終わりだと分かっていた。でもそれに関しては大丈夫。まだ子どもが小さくて、しかも24時間抱っこちゃんで、絵描く時間なんて本当に無い。実際に子どもが生まれてから数える程度しかお絵描きソフトを開いていなかった。絵を描く暇があるくらいなら、ゆっくり寝たい。そう思っていた。
久々にお絵描きソフトを開いたら全然使えなくてびっくりしたけれど、気付けばうきうきと細かい落書きを量産していた。思いが高まった結果、こうして二段階に分けて沼落ちしたのだった。
※厳密に言うとこれが始めての落書きではないけど最初に描いた絵は恥ずかしくて載せられない 下手すぎて
一度はやめたはずのお絵描きという趣味が私の生活に戻ってきた。(FA自体がなかなか線引きの難しいものはあるので全ての感情を載せて描くことはできないけれど、)時間を見つけては落書きをするようになった。JO1、みんな姿も良ければ中身も魅力的だ。パフォーマンスの個性も、垣間見える素顔も知れば知るほど好きになってしまう。11人も描くなんてありえないと思いつつ、それが楽しくてたまらない。こんなグループに出会えたのは初めてだ。
中でもやはり蓮くんの絵を描くのはひときわ楽しかった。私の拙い画力で少しでも似せて描こうと色んな角度から見てみた。ツリ目にも見えるし、タレ目にも見える。鋭いのに、慈悲深くもある。不思議な目をしているのだと改めて気付いた。クールそうなパーツが揃っているのに、とても童顔でもある。実はそこまで女顔でもないのだけれど、男性的とも言いきれない。硬いのに柔らかい。……どう描いてもしっくりこなかった。(諦めて手癖のままにラブリー妖精として描くようになった。)彼のことは今でもうまく描けないけれど、中身と同じでずっと掴みどころないところも魅力なのだろう。
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今までの文章で散々御託を並べたけれど、とにかくシンプルに彼の顔とスタイルが大好きだ。ずっと見てられる。美人は三日で飽きるなんて嘘だ。そしてこの川尻蓮くん、こんなに顔が可愛いのに、心がとてもかっこいい。
冒頭で触れたとおり、蓮くんは誰も見ていなくても赤信号を渡らない。自分に憧れてくれる人から見て恥ずかしくない人間であるように、社会のルールを守る。
メンバー含めて、人に優しい。一介のオタクからするとこれは周辺の人々の情報からしか分からないけれど。ファンクラブ向けのラジオでは仲の良いメンバーに対してのぞんざいな言葉遣いも聞けるけれど、そこからも彼の根底の優しさは分かる。メンバーが大好きなんだろうな、というのが声の調子で伝わってくるのだ。
「人って好きな人に似ていくから、僕が人に優しくすれば、僕を好きになってくれた人も人に優しくなれる」
以前そう本人がインタビューで話していたことは今も印象深く残っているけれど、それを意図していても実践することはそう簡単ではないと思う。私なんか、子どもや夫に毎日いらいらと腹を立ててばかりだから、この言葉を思い出しては反省するくらいだ。
川尻蓮くんとはどんな人なんだろう。ここまで書いてもまだその魅力は書ききれないし、書けば書くほど蛇足のような気もする。
私たちの目にうつるよりずっと普通なのかもしれないし、もっと変人なのかもしれない。聖人君子のように見えて、本当は残酷なところがあるのかもしれない。
それでもアイドルとして彼が見せてくれる今の姿は、とても素敵で、やわらかくて、可愛くて、なんだかいいな、と思えることに溢れているのは間違いない。
それが彼の全てではなくても、彼が良く生きようとしている意識からその姿が作られているということが余計に好ましく思えた。
「強い人間ではないから」と自分のことを話す彼だからそ、より良く生きようとしている姿勢が本当にかっこいいと私は思う。
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最後に、少し前のヨントン(オンラインでの一対一のトーク会)の時の話をさせてほしい。
いつもは私利私欲のネタでヨントンに挑んでいた私だけれど、ちょうどその頃、再びの体調不良が続いていた。ただ今回は以前の体調不良の時期とは違い、しっかりJAMになった後だ。好きな動画を観ては早く現場に行けることをモチベーションにして自分を鼓舞していた。
そうしてようやく体調も落ち着いた頃に迎えたカムバだった。
ヨントンの時間は30秒、あっと言う間だ。栄養不足でかさかさになった肌にメイクをしてiPadに向かう。自分の時間が来た。画面に映った蓮くんは、ピンクブラウンの髪に、リップも濃いめのローズピンク。割と迫力のある美人の登場に一瞬言葉に詰まる。「蓮くんのおかげで体調不良も仕事も乗り切れたよ」となんのひねりもない言葉を伝えた。自己満足だけれど、ちゃんと御礼をしたかったのだ。
画面越しの蓮くんは「うんうん」と頷いてくれたあと、眉を下げて、「よく、がんばったねぇ」と言った。
どっ、と汗が出た。
あ、ありがとうございます、と答えて、そこから何言か会話をして終了した。
よく、がんばったねぇ。
たった一言、文字にしてしまえば本当に普通の一言だけれど、本当に私は嬉しかった。私はがんばったんだなぁ、とその時初めて気付いたような気がした。
言葉選びも、菩薩みたいに優しい表情にも、大好きなその声にも、じんわりとしたぬくもりがあった。
いつだったか、彼が話していた「誰かの人生を少しでも良い方向に変えていけたらいい」という言葉が頭に浮かんでいた。まさにその通りになってるよ、と蓮くんにまた伝えたくなる。つらいときも、いらいらするときも、楽しいときもたくさんあった。たまたま自分の環境が大きく変化するときに出会ったから、というのもあるかもしれない。けれど紛れもなく、彼の存在が私のこの数年間を照らしてくれていたのだ。
これから先、今と同じだけの情熱を持って彼らを応援することができなくなる日も来るかもしれない。人生には絶対は無いのは分かっている。
それでも、私はあの言葉のあたたかさを忘れることはないだろう。
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子どもも少しずつ大きくなり、私にべったりだった下の娘も夫に預けられる時間が伸びてきた。
先日、夫と子どもを家に残し歩いていつものスーパーに行った。暗い夜道を一人で歩けるなんて私にとっては珍しく、貴重な時間だった。いつもはたくさん車が走っている道も夜は静かだ。歩道橋が無くなって見通しの良くなった大通りの向こうに、22時まで開いているスーパーが見える。
本当はここをまっすぐ突っ切れたら早いのにな、と思いながら、それでも誰もいない田舎の夜の傍、横断歩道の端っこで、ぼーっと信号が青になるまで待つ。誰も見てはいないし、誰も褒めてはくれない。当然のことだ。
けれど今は蓮くんのおかげで、私はそんな自分を悪くないな、と思えるようになっていた。
終!