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キラキラした世界はどこにあるのか
世の中に溢れているキラキラした世界。「すごーい!」と思う一部は本当にそうなのだろうか?
多分、私たちがすごいな!って感動する時、本当にその物事の全てを見ているということは皆無だと思う。裏での壮絶な努力があり、葛藤があり、そして、やっと花開いた一瞬だったりするんだろう。
もちろん、そのキラキラした瞬間に行き着くまでの過程があるから、その瞬間が輝いているように見えるのもあるとは思うけど、そこに対して、必要以上に妬んだりする必要は全くないのだろうな、と思う。
インスタグラムを使って、いろいろ始めて見たんだけど、とても興味深い。まず、インスタのコンテンツを作るのにとても労力がかかっている。だから、安易にパクっている人を見ると、ちょっとそれどうなの?と思うようになった。
食べ物の写真とかを載せている人は、相当写真をとるのが上手いか、もしくは、みんなが食べ始めるのを待たせている可能性がある。
私は、LIFEという映画を観て以来、写真を撮ることに費やす労力は結構愚かなことなのではないか?と思うようになった。
セリフをはっきりと覚えているわけじゃないけど、カメラマンが、珍しい動物を目の前にした時に、シャッターを下ろさないのを見て主人公が、なぜ撮らないのか?と尋ねた時に、本当に大切なシーンは肉眼で見るのが一番だと言っていて、確かに、一番その時大切なものって、本当に後で見返す写真なのだろうか?と思ってしまった。
映画を観たのが7年くらい前で、その前から、例えばスポーツ観戦に行って、写真を撮ることに夢中になっていて、大事なシーンを肉眼で見逃したこととかもあったのを思い出し、ああ、確かにそうやって、あとで見返すかも正直わからない思い出を残すことに一生懸命になりすぎていたのではないか?と。そしてカメラのセンスも性能もそうでもないから、その写真が価値を持っているのはせいぜい数ヶ月とか。それでも若かったから、何度も見返して思い出して思い出に浸ることはあった。
今、いろいろな情報が溢れていて、成功している人たちの話もYouTubeなんかでいくらでも聞くことができる。それはとてもいいことなんだけど、本当の話なのかどうなのか?疑問を持ったり、その情報を鵜呑みにしてしまうことだけは気をつけたい。
そして、キラキラ女子のインスタアカウントも、本当にそうなのか?疑っていいと思っている。だって、女の子なんだから、そんなに毎日キラキラしていられない。自分の気持ちが不安定なことの方がきっと圧倒的に多いわけだし、それでも、そのキラキラした部分を切り取って、継続して投稿した、そこにファンが付き、支持する人が増えていく、これはその人の努力の賜物だと思う。
ということは、これは誰にでも可能で、限られた一握りの人のためのものではない。ただ、継続するかしないかの話。
そんな世界の仕組みに気づいた今日この頃。