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世界は人の数だけある

今朝、夢を見て、その中でとても叫んでいた。すごい叫んで、意識が醒めたけど、叫んで、どんどんスッキリしていくから、叫び続けてみた。不安だったことを認めて、それでもいいんだって思うような、感情的なのに、冷静な自分もいて、とても不思議だった。結局、何か解決したわけじゃないけど、スッキリしたっていうのは、一つ儲け物だったな、と。

久々にNewsPicksのHORIE ONEを見た。老後のお金について、ホリエモンと勝間和代さんが話していたけど、ホリエモンが終始、「俺がこれ言うとすぐ叩かれるんだよな」て話していて、これって結構面白い。なぜかと言うと、本当にそれぞれの価値観が対立してしまっていて、そこに関しては住む世界が全く別だから。

今朝見た韓国ドラマ ハッピーレストランでもまさに同じことが起きていて、夫婦が離婚する時に、それぞれの視点と思惑によって、悪者が誰か?という点が180度変わってしまう。多分、どんな出来事もそうで、私が被害者だと思っていても、相手は自分が被害者だと思っているかも知れない。また、どちらの側面もあるから、対立しているときは、その反対側すら反対で、結局これまた相容れない。だから、同じ世界に住んでいるのに、見えているものが全く違う、ということは、結構な確率で存在していて、もしくは言うなれば、個々で全く違うので、人の数だけ世界がある、というのが一番正しい表現になるのかも知れないな。

きっとその中で波長が合う誰かと誰かが引き合って、また新たな物語がそこにできて、それで成長してお互い別々の道を進んで、そこでまた新たに波長の合う誰かと出会って、また物語が始まって、そんなことの繰り返しで魂を磨いていく、それが人生なのかも知れない。そう考えると、同じところに留まろうとすること、誰か同じ人とずっと一緒にいるという選択肢が少し不自然にすら見えてしまう。

でも、だからこそ、ずっと添い遂げるとかそんなことに夢とかロマンとかがあるのかも知れない。

けど、これはただ単純に、自分が住む世界において、大多数が選んだ答えが正解のように思われてしまっているだけのこと。住む世界が変われば、常識も変わるし、そもそも、正解なんてないんだろう。

それでも正解を求めてしまうのはきっと、答えが見えないまま先へ先へ進もうとするのはやっぱり苦しいし、不安だから。

今日は、そんなことを朝晩の動画視聴で思ったのでした。

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