ポジティブになれない時があってもいい。
ポジティブであることがいいというわけでもない、と最近よく思う。
いや、ポジティブである方が、精神的に健康だとは思うのだけれど、ポジティブで居れない時があることは、ごく当たり前のことではないか?
そう思ったのも、今日、先月受けたTOEICの結果が出た。前回より、リーディングで手応えがあったのに、まさかの5点ダウン。たった5点だし、まだまだだなって思い知らされたので、私はよかったと思ったけど、昔の私だったら、ここで勉強する気が失せていたな、って思う。
ダイエットもそうだけど、よしやるぞ!って思った時ほど、全然体重が落ちなくて、えーもう何やっても無駄じゃない?と思って辞めてしまうと、それで終わり。結果なんか出ない。だけど、そういう時があるのは大前提で、これを乗り越えるからその先にいい事があるってわかっていると、そこを乗り越えるために、今度は何ができるかな?と考えるきっかけになる。
でもやっぱり結果が悪いということに関しては落ち込むし、それで何をやっても上手くいかないとやる気なんか出ないし、それで目標と現実が乖離していくと、さらにもう目も当てられないような状況になってしまって、ああ、私には才能がないのかな、なんて思ってしまったり。
だけど、そんな時があって、それでも全く別のところでうまくいき始めたり、一旦休憩して、余裕ができたらまた何かを再開してみたり、そんな感じで、三歩進んで二歩下がる、それが人生なのかなって。
そう考えると、私は今まさに、二歩下がってる状態。
散らかった部屋を片付ける気力もなく、日々がなんとなく過ぎ去っていて、でも刻一刻と私の時間は減っているんだ、と秒針の音が急に怖くなってしまう。
私はどうしたいのか?どうしたいんだろう。
その質問の答えが出ないまま、私は今日も何となくYouTubeを見て、SNSを見て、そしていつの間にか眠りにつく。
こんな日常がいつまで続くのか。変えたいけど変えたくない、二つの相反する気持ちが隣り合わせで常に、私を右へ左へ、もしくは前へ後ろへ引っ張りあって、結局私は時間軸だけを進み、成長しているのだろうか?とふと思ってしまう。結局そうやって、進む日もあれば、後退する日もあって、いつの間にか少しずつ少しずつ、新しい場所に辿り着いて、きっと、これは希望的観測も含むけれど、私はそうやって成長を遂げる。
人に優しくなるためには、できないという経験も捨てたものではない。
この絵、素敵すぎないか?