面倒くさい女になりたくない。と思っている時点で面倒な女なのだろう。

大人になって、考え方とか感覚とかそういった価値観と呼ばれるものが全く異なる人と関わる機会が増え、絶対にこうはなりたくないなと思わせてくれる反面教師も増えてきた。

そういう無意識で感じてしまっている「うわ」という感覚が積もりに積もって、そんな人になってしまう自分に対して、酷く恐怖を感じる。自分に対する嫌悪感、これを哀れな状況に陥った場合には、泣いて同情を買うようなことを何度繰り返しただろうか。

人間みんな精一杯に生きていたら、格好悪いことって当たり前に起こるし、それは人として自然なことでもあったりするから、別に悪いことじゃない。他人がうっかりしてしまったミスをいつまでも責め立てることはしない。だったら、私のそれもきっと他人から見れば、その程度、むしろ意識すらされないこと、数秒後には忘れ去られてしまうことが大半なのに。

プライドが高いのだろうか。何を恐れているのだろうか?こう問いかけても、明確な答えを出せずにいる。ただ、小説を読んでいると、人間の黒い部分や弱い部分が、きちんと書き出されていることが多くて、そういうところで安心ができる。自己啓発本とか、やる気をあげよう!という感じの本に、今はきっと疲れているんだろうな。

そう、ご報告するまでもないのだけれど、彼と別れる決断をしました。年齢的なことも考えて、今のまま、会えない時間が続くのは、関係も進展せず、辛いだけなので。彼もお仕事が忙しいこと、昇進なんかもかかっているみたいで、私の優先順位はかなり低い。私は、面倒な女になりたくないから、あっさり別れを切り出して、颯爽と去っていくのが理想だったけど、そんなに良いものにはもちろんならなくて、ただただ、電話で話して、別れるという選択肢を切り出され、それを考えて観て、LINEで伝えるっていう。

あっけないのに、なんだろう、もう寂しさとかもなくて、今はスッキリした気持ちも無いと言えば嘘になってしまう。

人と向き合うということを放棄する行為にも思えたけれど、こちらだけ彼の方をむいていたところで、それは向き合うことにはならず、やっぱりお互いがお互いに関心を持っていなければ、そもそも付き合うということが成り立たないのだな、と苦い勉強です。そして、また元彼の数が増えました。

じゃあ、次はどうする?の部分。

相手のことを知ろうとする期間を設ける。
傷つける・傷つけられるのは人間が関わり合う上で仕方のないことなので、気にせずに、関わる人の数を増やす。

ところで、私は、結婚したいのかな?どうなんだろう。実際。これまでは子どもは絶対ほしい!としか思っていなかったけど、実際子どもって自分とは全く別のただ血が繋がっている一人の人間だと冷静に思うことが多くて、もちろん、そんな責任だけ重くのしかかり、その割に口答えしてくるような存在を育てるということは、やっぱり、魂をみがく上では、とても素晴らしい体験だと思うけど、可愛いばっかりじゃないよな、と冷静に思っている自分もいないことはない。

でもやっぱり、友達の子どもがどんどん成長する様子を見ると、その醍醐味を知らずに死んでいくのも、ちょっと寂しい気がする。

結局、子どもは産む機会があるのであれば、やっぱり諦めたくはない。

でもじゃあ結婚は?となると、そこに関してはあまり必要性は感じきっていない。家族ですら鬱陶しいと感じてしまうのに。しかもたかが3日くらい一緒にいるだけで、それなのに、全く赤の他人だった人と、暮らせるのだろうか?どうなんだろう。同居のような形で、部屋は別に、共有スペースで時々一緒に過ごして、また別々の部屋に帰る、とかそんなことができたらいいけど、それって、子ども育てる気ないよね?と自分の考えの浅はかさに腹が立つ。

そう、多分私は、とても無責任に、自分の快適さだけしか考えていない。もちろん、実際そうなったら、そうするしかないから、どうにかしてしまうのもわかっているけど、まず最初に、そうします!と約束しなければならない。そうなると、その約束がやっぱり結婚ということなんだろうな。

たかが紙切れ一枚だけど、あれは、この後の人生あなたと共に乗り越えていきます!ていう約束ですね。

結婚しましょう。誰とするか?そこは追々考えていきましょう。

 

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