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はるをまつ

あと1ヶ月で4年続いた遠距離生活が終わるらしい。

私と夫は付き合い始めて1年弱で遠距離になり、そこから遠距離歴2年半で結婚した。一緒に暮らせないのに結婚したなんてと驚かれることも多いけれど、私たちにとっては「いつかそのうち一緒に暮らす」ことは当たり前のことだったから、何も問題はないと思っていた。それでも、さすがに4年近く遠距離だと遠距離があたりまえになってきて、「一緒に暮らせる日」は夢のようで現実感がなくなってきた。えっ、そんな楽しい日が本当に現実になるんですか?いいんですか!?という感覚。

ここ2年くらいは特に、一緒に暮らせる日が早く来るような道を選択してきたつもり。基本的には、「それぞれがベストを尽くして生きて未来の可能性を広げながら、機を待つ」というものなので、あまり積極的ではなかったんだけど。というか、どちらかが仕事(私の場合は大学)をやめればすぐにでも一緒に暮らせたから、遠距離であることを積極的に選んできたとも言えるくらいなんだけど。
私たちは欲張りで、やりたいことをやることも、やりたいことをやってもらうことも、一緒に暮らす未来も、全部欲しかった。一つも溢さずに一緒の未来に辿り着くには時間が必要だった。

ここ数年、現状に全く不満や後悔はなかったけれど、それでも、早く一緒に暮らせるようになったらいいのになと思いながら生きてきた。だから、「一緒に暮らせたら」を二人で何回も話してきた。あの家電がほしいとか、こんな家具がほしいとか、こういう家に住みたいとか、家事の分担はどうしようかとか、どこに旅行に行きたいとか、いつか家を建てる日が来たら庭にアカシアの樹を植えたいとか(庭木には向いていないらしいけど)。
遠距離の4年間にたくさんの「もしも」が生まれて、「もしも」を考えることが当たり前になって、どんどん「もしも」の現実感は薄れていった。

でも、それが、今、現実になろうとしている。
夫が私が住む街に来ることが決まり、来月から一緒に住めるようになる。

先月、一緒に住む家の契約をした。そして昨日、新居の家具を買いに行った。
すてきな家に、すてきな家具。
「もしも」を実現していくのがあまりにも楽しくて、だんだん二人して不安になって、こんなにはしゃいで大丈夫かな?と確認しあったり、あれだけ考えたんだから大丈夫だよって言い合ったり。本当に楽しくて、来月が楽しみすぎて、やっぱりまだまだ現実感がない。本当に私は家具を買ったんだろうか、そんなに楽しいことがあっていいのかなと思うけれど、パンチの効いた金額の家具の領収書が手元にあるから夢じゃなかったらしい。どうやら私はとてもうかれている。

彼と会える日を指折り数えながら生きて、離れる時には毎回毎回寂しさでいっぱいになるような、そんな日々がもうすぐ終わる。毎日仕事を終えて帰ったら会えるようになる。毎週末ふたりで一緒にのんびりできるようになる。
そんなん、いいんでしょうか?
やっぱり、さすがに、罰が当たるんじゃない?

一緒にいられることを当たり前だと思わないで、ちゃんと毎日、「今日も一緒にいられるんですか!?」って驚きながら生きていきたい。お互い一人暮らしが長いから一緒に暮らすことにストレスを感じる日が来るかもしれないけれど、そうなったとしても、あんなに一緒に暮らしたいって思っていたのにねって笑い合えればいいな。

あと1ヶ月、毎日が一瞬で過ぎてしまえばいい。
今年こそは一緒にお花見に行くんだ。