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溢れる涙
6月7日、午後。警察のほうでも指輪の存在はわからないということで、いったんオレの捜索も打ち切りとなった。となると、実家に居てももうやることはない。職探し中のオレは、翌日とある企業の人と会う約束になっていたので、自分のマンションに帰ることにした。
お盆や正月に帰省したオレがまた自分の家に戻るとき、必ず母は庭の門のところまで出てきて、忘れ物はないか、次はいつ帰ってこれるのか、ちゃんとご飯を食べるように、などといろいろ話しかけては、淋しそうにオレを見送ってくれていた。50を超えたおっさんでもやっぱり息子は心配なのだろう。しかし今日はそれもない。頭ではわかっているのに胸がギュッと痛む気がした。
4日ぶりに帰ってきた自分の部屋。あたりまえだが出かけたときと同じ状態である。鞄から荷物を取り出し、洗濯機に入れたり元の収納場所に片付けていく。ひと通りその作業を終えると、ベッドの上に座った。この部屋に引っ越してきて7年。母も何度か来たことがある。急にそのときの姿が部屋の中に浮かび上がる。
もう、二度と母に会えないんだ。
1人きりになって、恐ろしいほど実感として迫ってきた。死の知らせを受けてから、今の今までまったく涙は出ていない。姉は誰かに声をかけられるたび、そして生前の母の話をするたびに声をあげて泣いていたが、オレは冷静にそれを見ていた。
住み慣れた自分の部屋で1人ポツンといると、今まで静かに胸の奥底に眠っていた感情が一気にあふれ出した。大声をあげて泣いた。泣いても泣いても悲しみは消えなかった。
「お母ちゃんにもう会えない」
口をついて出るのはその言葉ばかりだった。
大人の男性でもときどき涙を流す人はいるだろう。ただ、オレは映画やドラマを見て泣くことはあっても、生活の中で、自分のことで泣くというのはなかった。少なくとも社会人になってから、泣いた記憶は一度もない。別に我慢してるのではなく、そもそも辛くても悔しくても悲しくても、涙がでるような状態にならないのだ。それなのに…、このときばかりは、次から次へと涙が溢れ出て仕方がなかった。
それだけ母を亡くしたという事実は、オレにとって特別なものだったんだと思う。もちろん後悔はたくさんある。このnoteのタイトルに付けたように、正真正銘のバカ息子だった。いくら悔いてもどうすることもできないが、なんとか明日からの人生を少しでも幸せになれるよう生きるしかない。
そして。いつか寿命が来て、また母に会えるようなことがあるなら、心を込めてありがとうと言おう。