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若くなったお母さん

母を見送ったあと、父と姉とオレはただ家の中でぼーっとしていた。明日の告別式まで特にすることはない。母の遺体を寝かせていた部屋は、また元の何もない状態に戻っている。

そう言えば、葬儀屋さんが、
「湯灌などが終わった頃にお越しいただければお母さまとお会いできますよ」
と、言っていた。

そのときは、明日最後のお別れをするのだし、と消極的に曖昧な返事をしていたオレと姉だったが。することもなく沈黙の続く居間で、姉が、
「あとでお母さんに会いに行く?」
と聞くと、父は
「うん」
と元気よく首を縦に振った。

やっぱり父は少しの間でも母と一緒にいたいんだな、とわかって、オレと姉は頷き合った。

父と母は職場結婚だったらしい。どういう馴れ初めなのかは知らないが、父は最後まで母のことが大好きだった。晩年は母の立場がだいぶ強くなっていてあーだこーだといろいろ口うるさく言われてたが、それでも父は言い返すことなく笑って受け止めていた。少なくともオレたち姉弟は両親が喧嘩をしているのを見たことがない。

長年連れ添った最愛の妻なのだ。明日遺骨になってしまう前に少しでも会える機会があるなら会いたいと思うのは当然かもしれない。

午後3時、我々は車で葬儀会館に向かった。5分ほどの場所にある小さなお葬式会場は、まだ新しそうで、とても綺麗な建物だった。中に入って声をかけると、家に来てくれていた営業(?)の方とは違う、女性が応対してくれた。

通された狭い部屋に母が眠る棺があった。棺の上にはクロスワードパズルの雑誌が乗っていた。姉によると、母はクロスワードが大好きで、暇を見つけては問題を解いていたらしい。そう言えば、たまにオレが実家に帰ったときも、家事を終えたあとにクロスワードパズルの雑誌を広げている母の姿をよく目にしていた。

女性職員さんに促されて、棺の顔の部分を開ける。そこには、亡くなったときとは全然違う、綺麗にお化粧されて髪の毛もきちんと整えられた母の顔があった。とても柔和で美しい顔だ。

自分の母を美しいというのも変かもしれない。だが、半年前に会ったとき、母は転倒して顔面を強打した直後だったため、顔にもかなりあざが残っていた。それに。。。働き詰めだった母は、たしか50代の頃、あまりの激務とストレスで顔面神経痛を患った。苦労をかけた一端にぼんくら息子のオレの存在もあったのだが。

いずれにしても、そうした顔のあざも消え、病気の後遺症だった歪みもなく、ほんとうに綺麗な顔になっていたのだ。最近は自分でもちゃんとお化粧をできなかったようで、おばあちゃんになったなと思っていたが、このときの母はずいぶん若くみえた。オレの記憶にある、元気なときの母の姿だった。


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