ありがたいお見送り

翌日の正午、葬儀屋さんが母を引き取りに来る。告別式はさらにその次の日なので、家族が望めば母はもう一晩実家で過ごすこともできた。しかし我々は、プロに湯灌をしてもらい、母が気持ちよく明日を迎えられるようにしたかった。お気に入りの服も渡して死化粧をしてもらうのだ。

母が住み慣れたこの家からいなくなる。その前に少しでも一緒にいようと11時頃からオレは母の遺体の横に座っていた。別に何をするわけでもない。父もその部屋へやってくる。道路に面した1階の部屋で、とても日当たりが良い。沈んだ男親子2人の空気感とは正反対に明るい陽気だった。

何もせず、ただ母の隣に座ってるだけの時間。こんなに近くでずっと一緒にいるのはいつぶりだろう。葬儀屋さんがこのまま来なければいいな、とちょっと思った。

12時。約束通り、葬儀屋さんは来られた。今日来るまでに決めておいてくださいね、と言われていたいくつかの宿題を、姉が葬儀屋さんに伝える。それに関連した事務手続きや打合せをおこなった後、いよいよ母を葬儀屋さんの車に乗せる段階になった。

事前に近所の方が「私たちもお見送りさせてください」と申し出てくれていたのだが、数人の方だろう、と思っていた。

ところが。表に出てみると、驚くほどの人の数。母は人見知りで決して社交的とは言えない性格なので、それほど近所の方とも交流していたとは思えない。ただ、温厚な性格で当たりがやわらかいので、オレの想像以上に好かれていたようだ。

こんなにもたくさんの方がお見送りのために集まってくださったのか。前日の早朝、母の死を知らせる報告を受けて以来、はじめて嬉しい気持ちになった。オレはこの家を離れて34年になるので、今では近所の方の顔もほとんどわからない。ただ子どもから年配の方まで、まさに老若男女が家の前の道路にずらっと並んでくれている。ありがたい。ほんとうにありがたいことだ。

車の中に運び込まれ、合掌を終える。オレは集まってくださった皆さんに向かって、精いっぱいの声で御礼を言った。この時まで一度も涙は出ていなかったが、御礼の挨拶のとき、込み上げるものがあってほんの少しだけ涙声のような感じでうわずった。


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