最後のお別れ(2)
出棺が終わった。Sちゃんはここで散会となる。Sちゃんが葬儀に来てくれたとき、姉は泣いた。こういうとき、親しい人の顔を見ると安心感から涙が出るのだろう。オレは丁寧にSちゃんにお礼を言い、これからも姉をよろしく頼みますとお願いした。
父と姉とオレ、そして叔母家族は火葬場に向かう。外は快晴だった。しかし暑くない。6月上旬とは思えない涼し気な気候。冬でもバッチリな礼服を着ているオレに、母が配慮してくれたのだろうか。
市が運営する火葬場に到着し、いよいよほんとうにお別れのときを迎えた。葬儀会館では、もうここから先はお母さまのお顔を見ることはできません、と言われたが、火葬場の職員さんから「故人との最後のお別れです」と言われ母の顔を見せてもらうことができた。
ほんの短い時間。最後にオレは「お母ちゃん、またね」と言った。なぜか、また会える気がしたからだ。
火葬炉に入っていく母の遺体を見送ったあと、我々は併設する待合場所へと移動した。待ち時間は約1時間半。飲み物を飲みながらくつろぐ。オレはふと、叔母の方へ歩み寄った。姉は叔母と気が合うし、どちらもマシンガンのように喋るので、2人が話す機会はときどきあるようだ。しかしオレは親戚付き合いはほとんどなく、昔から親戚の中でも口数は多い方ではなかった。
そんなオレが声をかけたからだろう。叔母は嬉々として乗ってきた。母のこと、そこにいない母の妹2人(叔母からみると姉)のこと、自分の家族のこと、飼っている猫のこと。まぁ喋る喋る。つられてオレも結構いろんなことを話した。目の病気の状態やこれからの仕事のこと、などなど。後で姉から聞いた話だが、いとこが「兄ちゃん、うちのおかんに負けへんぐらい喋ってるな」と驚いてたらしい。
実はこの叔母、既に70歳になっているのだが、オレの幼少期(45年ほど前)の印象では、派手で遊び好きなイケイケ姉ちゃん。オレは小さい頃、母の3番目の妹である叔母にとてもお世話になっていて、この末っ子の叔母に面倒を見てもらった記憶は一度もない。
それでも今日は頼もしかった。母が亡くなったあと、父と姉と3人で家にいると気が滅入ることもあった。今日この叔母と話して、なんとなく元気が出た気がする。別に特別なことをしてもらうわけじゃなくても、辛いとき、困ったときは、家族3人だけで抱え込まなくてもいいのかな、と思えた。
待合室に放送が流れる。時間だ。我々は職員さんの案内にしたがって移動した。そしてお骨になった母と対面した。職員さんが丁寧にどの部分の骨なのかを説明してくれる。指示を受けて順番通りお骨を拾っていく。これでほんとうに母を見れるのは、写真の中だけになった。
でもオレの記憶の中にはたしかに母がいる。今でも目を閉じれば、いろんな表情の母の顔が浮かんでくるのだ。