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最後のお別れ(1)

6月6日10時20分過ぎ、葬儀場に到着。会館の入口を入った正面には、見慣れた母の顔があった。2、3年前に父と姉と母で、フラワーセンターに行ったときに撮影したものらしい。

「若くなったお母さん」の中でも書いたが、母はむかし顔面神経痛を患い、その影響もあってか写真を撮られるのが好きではなかったようだ。遺影にする写真を提供してください、と葬儀屋さんに言われた姉は、直近の写真がないことに困惑して、スマホのフォルダの中を必死で探していた。その中からようやく見つけた、花をバックに佇んでいる1枚である。

その遺影の前を通り過ぎ、告別式が行われる部屋へと進む。棺の中の母の顔は、変わらず穏やかな表情だ。安心してテーブルにつく。職員さんから今日のスケジュールの説明があったあと、便箋を渡された。お母様にお手紙を書いてください、とのこと。

母に手紙を書くなんていつ以来だろう。小学生の頃に母の日の学校行事で書いたような気がするが…。覚えていない。悩みながら、ペンを走らせた。中身はここでは書けないが、このとき、お母さんの息子でよかった、という感情が湧き上がってきた。

11時、昼食の時間。なかなか豪勢なお弁当が運ばれてきた。にもかかわらずほとんど箸は進まない。もちろん母を失った悲しみが心を重くしているから、だと思うのだが。やっぱり朝食を食べたことも大きい。まだ2時間半ぐらいしか経っていないのだ。むしろ、さっきまで棺の母を見て泣いていた姉がふつうに食べてるのがおかしい。

「そんなに食べるからふと…」
いくら姉弟とは言え、口に出してはいけないことは言わない。

なお、この食事の時間から叔母家族も同席してくれている。母は4人姉妹の長女。残念ながら2人の妹は遠方だったり諸事情で参列されなかったが、一番下の妹とその夫、そして長男(オレのいとこ)夫妻が来てくれた。

家族葬でひっそりと、とは言ったもののさすがに見送るのが3人だけでは母に申し訳ない。叔母家族が参列してくれたのは非常にありがたかった。そして13時の式の開始に合わせてもう1人、姉の幼馴染のSちゃん(と言っても50代半ばだが)も来てくれた。母も良く知っている古くからの姉の親友だ。

僧侶の読経、焼香と、予定通りに過ぎていく。そしていよいよ、母を送り出す時間となった。祭壇横に飾られた供花を、棺の中に入れて母を花で囲む。姉は泣いている。父も嗚咽をもらしている。

葬儀屋さんから、
「最後ですから。お母さまにお声をかけてあげてくださいね」
と言われる。

オレは人前で自分の感情を出すのが苦手だ。だからといって、こんなときまで、自意識とか体裁とか、そんなものが行動を邪魔するのか?素直に母への思いを叫べばいいのに。なんてくだらない人間なんだ。情けなくなる。結局自分でもなぜそれほど落ち着きはらっているのかわからないまま、棺は閉じられようとした。

そのときもう一度、葬儀屋さんに声をかけられた。
「もうよろしいですか?お母さまに触れられるのはこれが最後ですよ」

オレはたまらず、母の頬とおでこを撫ぜた。
「お母さん、ありがとう」
ようやく、ひと言だけ伝えることができた。

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