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 令和3年6月4日(金)朝5時54分、電話の着信音で目が覚めた。脳はまだ完全に眠った状態。寝るときは枕元付近に携帯を置いていることが多いものの、定位置が決まっているわけではない。

ぼーっとしたまま、何となく音の鳴っているあたりを手で探る。
「あ、これか。」
片方の手が携帯を捉えた。誰からの電話なのかもろくに確認せず、寝ぼけたままスマホ画面の応答ボタンを押す。聞こえてきたのは父の声だった。
「おぃ、ちーむすか?お母さんが、お母さんが…。」
こんな時間に(と言っても、その段階では何時なのかわかっていなかったが)、父からの狼狽した様子の電話、いくら勘の鈍いオレでも察しはつく。ただ、父はその続きの言葉をうまく喋れず、笑いを噴出したような声を漏らした。
「あれ?何かの冗談か??」
頭の中をクエスチョンマークがいくつも浮かびはじめた瞬間、電話の声の主が変わった。今度は姉だった。
「ちーむす、お母さんが、お風呂の中で、亡くなってた。ごめん、ごめん。わたしがついてたのに。こんなことになって。ほんまにごめん!」
泣き崩れる姉の声に、ようやくオレはまどろみの世界から抜け出した。

うちの家族は父と母と姉とオレの4人。親不孝姉弟は、ともに一度も結婚をしていない。オレは高校を卒業後、この歳(52)になるまでずっと一人暮らしだが、反対に姉はずっと実家暮らしだ。高齢になってあちこちにガタがきている両親の面倒は基本姉がぜんぶみている。特に2年前大きな手術をした母はめっきり体の弱いおばあちゃんになっていて、最近はお風呂にも姉が付き添って入っていたらしい。

らしい、というのは後になって聞いたからで。滅多に実家にも帰らず、たまにしか連絡をしないオレは、母の状態をあまりよくわかってなかった。最後に実家に帰ったのが、ちょうど半年前の正月。母と電話で話したのが1ヶ月前の5月上旬。

正月に会ったときの母はたしかに小さくなってたし、いろんなとこが痛かったり不自由だったり、ということは言っていた。それでも比較的元気そうに見えたし、自分のことは自分でできていたから、特に心配はないだろうという気持ちと、何となく弱っていっている母の本当の状態を知りたくないという気持ちがあって、なるべくそういう話題は避けていたのかもしれない。

そこから半年。高齢者は一気に衰えていく時期というのがあると思う。まさにこの半年が母にとってのそんな時期だったようだ。

いつからかは知らない。前述のとおり、姉が母の入浴介助をするようになっていた。が、ここ数ヶ月、姉は仕事で多忙を極めており、毎晩帰りが遅かった。その日もヘトヘトになって帰宅すると、母がお風呂に入りたいと言ってきた。
「お母さん、今日はわたし疲れきってるから、お風呂なしでもいい?」
そう諭すように話す姉に、母は無邪気な様子で、
「一人でも大丈夫やから」
と言うと、浴室へと向かったのだ。

介助が必要、とは言え、どちらかというと安全のために見守るとか、ちょっと手を貸す、ぐらいの程度だったので、絶対に誰かに付き添ってもらわないとお風呂に入れない、というわけではなかった。そして、
「ほんまに気を付けてよ」
と声をかけると、姉は2階の自分の部屋へと入っていった。念のため、母が無事にお風呂から上がったのを確認できるよう、自室の扉は開けておいて音が聞こえるようにしていたのだ。

ところが…。疲労が溜まっていた姉は少し横になるだけのつもりが、そのまま眠ってしまった。そして、次に目が覚めた時には、もう朝になっていた。
「え?わたしあのまま寝てた?」
昨晩の記憶を呼び戻す。部屋の扉は開きっぱなし。
「そうか、お母さんがお風呂に入るって言ってたんや」
姉は胸騒ぎがした。慌てて部屋を飛び出し、廊下を隔てた先にある母の寝室のほうに目をやる。いつもならスリッパが置いてあるはずの場所に、それはない。勢いよく進み寝室の扉を開ける。ベッドの上は空っぽだ。

「お母さん!!」
心の中で叫びながら階段を降りる。不安が渦巻く中、浴室の扉を開けた姉の目に飛び込んできたのは、お風呂に浸かったまま、まったく身動きしなくなっていた母の姿だった。

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