
お母さんと男の子
オレには好きな光景がある。街中で楽しそうにしているお母さんと男の子のツーショットだ。もちろんお父さんと女の子も微笑ましいし、同性の親子連れやファミリーもそれはそれで良いなと思う。
ただお母さんと男の子の組み合わせはちょっと特別な想いが沸き起こる。おそらく過去の自分に重ねるからだろう。
以前住宅街を歩いているとき、1軒の家の前でお母さんと小学校低学年ぐらいの男の子を見かけた。男の子はサッカーボールでリフティングをしている。お母さんは横で見守り応援している。ふつうなら気にも留めない日常のひとコマ。それでも2人がすごく楽しそうで。幸せってこういうことなのかな、と強く印象に残ったシーンだ。
オレも幼い頃母と一緒にいるだけで幸せだった。当時はそんなこと考えてもいないが、今になってそう思う。母が買い物に行くとき、母方の祖母の家に行くとき、洋裁か何かの先生みたいな人を訪ねて行くとき。オレはずっと母の横にいた。なぜだか姉はいなかった。2歳年上なのでその頃はもう友だちと遊んでいたのだろう。
中でも母との外出で楽しみだったのが、電車で隣町に行くときだった。いや、本来の目的自体は全然楽しみなんかじゃない。歯医者に通うためだったから。
それでもオレは歯医者への道程が好きだった。母と一緒に出かけることがまず嬉しい。其処へ持ってきて、楽しみな2つのイベントを母が用意してくれていたのだ。
インターネットもない時代に母がどうやって見つけてきたのかは知らない。家から電車で4駅、距離にして12~3㎞。実家のある小さな市に隣接した、この地域で一番の大都会にその歯医者はあった。さすがうちの近所とはちょっと違う。45年以上前の記憶だが、院内は明るくて綺麗だった。当時としては珍しい、洗練された病院という印象だ。
今のように、子どもの不安を取り除くための工夫が当たり前じゃない時代。母はヘタレで泣き虫のオレが嫌がらないように、いろいろ探してくれたのだろう。おかげでその歯医者は現代でも通用しそうな安心があった。
そして、通院の前後にも楽しみを与えてくれた。まず病院近くの駅に着くとゲームセンターに直行。実家の近辺にそんなものはなかったから、広いゲームセンターに足を踏み入れただけでオレはテンションあがりまくり。覚えているのは母とエアホッケーをしていたこと。この時間がほんとうに楽しかった。
もう1つは治療後の楽しみ。たぶん歯を抜いたりしてないので、食べるのを制限されたりはしてなかった模様。駅周辺にはレストラン街があり、いろんな飲食店が並んでいたが、オレと母のお目当てはいつも同じ。玉子焼きを食べることだった。全国的には明石焼きと言った方が伝わりやすいかもしれない。たこ焼きよりもトロトロでお出汁に付けて食べるアレだ。歯医者から解放された嬉しさと、母と2人で外食という喜びから、喋るのと頬張るので忙しかった。
これらはいつ頃の出来事だっただろう。小学1年生か2年生ぐらいだと思う。年齢が上がるにつれて、母と2人で外出する機会は減っていった。友だちと遊ぶのが楽しくなったのもある。母が仕事を増やしていったのもある。中学生になると、もはや母親と一緒に出かけるなんて絶対あり得ないことだった。クラスメイトに見られたりしたら恥ずかしくてたまらない。
でもほんとうは当時だって一緒にでかけたい気持ちはあったはずだ。なぜそれに気づかなかったんだろう。もっと2人でいろんなところに行けばよかったなぁ。
もう取り戻すことができないあの時間。あらためて大切で貴重なものと実感する。だから今でも街でお母さんと男の子の楽しそうな姿を見かけると、たまらなく心が揺れるのだろう。そこにはさまざまな感情がある。回顧と羨望と後悔と郷愁、そして何よりも母への感謝の気持ちが一番なのかもしれない。