バタバタの朝
相変わらずしっかりと眠れない夜。じっと布団の中で耐えて日曜日の朝を迎えた。葬儀の当日だ。遺族は10時半に会館に来てください、と言われている。簡単な説明のあと11時から食事の予定だ。
食欲もないし、どうせ早めの昼食を取ることになる。わざわざ朝ごはんは食べないだろうと思っていたが、姉はどうやらきっちり朝昼晩と食べる派らしい。長年一緒に暮らしていないので、その辺のルーティンはわからなかったが、お腹が空くまで食べない派のオレは戸惑った。
「えぇ? オレ朝いらないよ」
そう伝えたが、
「もう用意してるし少しぐらい食べなさいよ」
と言われ、仕方なく食べることに。
朝食を終えて、少ししてから出かける準備にとりかかる。父は昨日からずっと黒い革靴がないことを気にかけていた。「買いに行かないと」と言うのを、姉が「いつもの履き慣れた靴の方がいいよ」と諭して、黒のレザースニーカーを履かせようとしていた。後ろに二本の白いラインが入っていて、父はどうしてもそれが嫌だったようだ。
それでも姉は強引にその靴で行かせようとしていた。一方オレは礼服も革靴もすべて持ち帰っていた。と思い込んでいた。実際に黒の靴下もネクタイも忘れず持参していたのだが…。
ワイシャツを着てボタンを閉めていると、こっちを見た姉が叫んだ。
「えっ、あんた、それでお葬式に出るつもり!?」
オレは意味がわからない。
「いくらなんでもピンクのワイシャツはあかんよ!」
ぴ、ぴんく??
オレは自宅のハンガーラックから白のワイシャツを取って鞄に入れたはずだった。そう信じていたのだが、実はそれはピンクのワイシャツだったのだ。
オレは難病の視覚障害持ちである。視力は比較的残っているので、周りからは理解されにくい。ただ、相当やっかいな見え方で、色は区別のつかないケースが多々ある。まさか、こんな時にこんなミスを…。
時間は9時45分。出発予定時刻まであと30分。
さぁ、どうする!?
父の靴よりも重大な問題が発生してしまった。小柄な父のワイシャツを借りるのは無理だし、かといってピンクのワイシャツのまま、というわけにもいかない。姉によると、自宅から一番近いイオンが9時には開店しているそうだ。買いに行ってもらうしかない。自分で行け、と思われるだろうが、視覚障害2級のオレはとっくに車の運転はできなくなっている。
猛ダッシュで姉が出て行った。その間も父は靴のことを気にしている。マジックを持ってきて、白い二本線を塗りつぶそうとしていた。
「ズボンで隠れるかもよ。履いて立ってみて」
オレは父に言った。
父は礼服のズボンに着替えた状態でその靴を履く。ちょうど裾が靴にかかって、ソールの上部まで隠れていた。
「お!バッチリ。ライン見えないから大丈夫や」
オレが言うと、ようやく父は安心したように笑みを浮かべた。
そうこうしているうちに時間は10時5分になろうとしていた。イオンまで行ってワイシャツを買って戻ってくるのにどれぐらいの時間が必要なのか、オレにはわからない。間に合うのだろうか。
いや、それよりも、焦った姉が事故を起こさないか、の方が心配だった。気をもみながら時計の針が進むのをじっと見つめていた。
と、そのとき、家の前で車が止まる音がした。その音に続いて、慌ただしく姉が玄関を開けて入ってきた。
「買ってきたよ!」
時間は10時10分になろうとしていた。落ち着いて母の葬儀に向かおうとしていた一家は、まぁ我々らしいと言うべきか、バタバタの朝を過ごしていた。(家族全体のせいのように書いたが、悪いのはオレだという自覚は一応ある)