暗闇のなか何度も君に出会う、美しい君に。
自分の顔や身体やカタチがあんまり綺麗じゃないことは自明なのだが、それも愛嬌と思うし鼻の低さとか瞼の重さとかそういうのが、ママとパパと似ているので血の繋がりを感じるのがなんとなく嬉しくて。だから容姿端麗な人を見て自分が劣ってる事実にしょんぼりする時もあるけどでも、ママとパパに似てることを良いって思えるこの気持ちは私だけのものだから。そしてそういう気持ちを尊重できることがすごい奇跡的なだよねって、過言でなく思うから。まあ外見はいいかってなる。
容貌に関して、これまでたくさん比べられてきて、たくさんひどいことも言われてきて、それは自分がそういう立場(人前に出て容貌をジャッジされる存在)になることを選んだから仕方ないことなんだけど。そういう選択しなくても、生活の中でたくさんの人の中にいればみんな無自覚に比べられたり、綺麗な人の中にぼーんと入ってしまって辛くなったりとか、そういう経験は少なからずあるでしょう。そんなときかなしくなったり、ええいもうって美容整形を考えたりするけど、なんとなくそれは私には違うかも。変わることは怖いって思うから、やらない。
容貌を完全にツールって思ってどんどん改造したり自己実現のために変身する人がいるのはわかる。自分がそうじゃないだけ。
可愛いアイドルがいて綺麗なモデルがいて憧れてあの人みたいになりたい、あの人は美しいって思うことは重々あるのですが、それ以上にあの人みたいになれたら、あの人の眼差しに包まれたなら、と渇望してしまうのは圧倒的に「知性の底知れない女性」なんです。その感性的なよさ。美しいものを美しいと言える人が好きで、そういう人をこそ美しいと思う。そういう人になりたいと強く思う。彼女らの熱の宿る目が好きだ。悔しくて、愛おしくて、苦しくて、尊まれる。憧憬の先で気持ちがぐちゃぐちゃにされる。
作家であるとか研究者であるとかいろんな立場にある彼女らのアウトプットが世の中には溢れていて、私はそれらを丁寧に、星を集めるかの如く、慎重にすくいあげて覗き込むんです。そこにある彼女の知性を、光を、私は暗闇の中ひとり静かに吸収し、己が血肉にできれば……と、祈るような気持ちで対峙する。その作業で、自分も美しくなれる気がしてしまう。自分がちっぽけで、不細工で、何者でもないことが、その瞬間だけは、煌めきを集められる最適な器のように感じる。美しさに触れ、夢を見ることができれば……、内側から煌めくことも、もしかしたら叶うかもしれないと思える。
誰に見つかることもないであろう、美を内包する可能性が自分にあることを。祈りを絶えず、捧げる。