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プロフィール

ご訪問ありがとうございます✨

このnoteを書いている
『ちぃ』と申します。

私のプロフィールと、
このnoteを始めた理由について
今回はお話しようと思います。

プロフィール



ちぃ
3児(7・5・3)のママ
本業は接客業
HSS型HSP 

🍀各種コンテンツ
Twitter
ちぃ公式LINE
ブログ
スタエフ
楽天Room


少し前からテレビで取り上げられることが
多くなったHSP気質(HSP=繊細さん)

私は自分がHSPと分かる前は
これが自分の"性格なんだ"と
思いこんでいて、

学生時代にいじめにあったり、
就職して心が壊れそうになったりと、
色々な苦労がありました。


これが自分の性格からではなく、
”気質”からくるものとわかってからは
自分の事が自分でより理解できるようになり、

以前よりも明るく、
自分に素直に生活できる
ようになりました。


私は自分の気質を理解してから
人に気を使いすぎる事も少なくなり、
ブログやTwitterを初めると
お互いを高め合える仲間もできました!


さらに、ブログを始めると、
初月で売り上げ3桁達成!

2022年1月にはついに
副業で”4桁”達成!

Twitterでは2022.2.9現在
1634人の方にフォローして頂いてます!
そして今も尚、フォロワーさんが
増え続ける日々です!


『え、嘘でしょ?』
「そんなに最初から上手くいく?」
と思われますが、本当の話なんです!

少し長くなりますが、
私の今までのこと、
Twitterやブログ、このnoteを
始めた理由を書きました!

今まで自分なんかどうせ、、と、
自分で自分を助けることもせず、
社会からのストレスに縮こまっていた
私のV字逆転ストーリーです!

今までのこと 《小学生まで》

私は3人姉弟の長女として生まれました。

小さい頃は"活発な子"
自分でもそう思っていました。

そして、繊細さんとはよく真逆と
よく言われていました。
(HSS型HSPは気質から
繊細さんに見えないとよく言われます)

田舎の小学校の為、
通っていた保育園から
メンバーも変わらずそのまま。

でも、思えば、保育園の頃から
周りとは"なんか合わない"
感じていました。

そんな"なんか合わない"も
次第に形になって現れてきました。

私が言いたい事を言おうと思っても、
色々と考えすぎてしまい、
逆に遠回しな説明になり、
結果として、上手く伝わらなくて、

結局理解されない。


『言いたい事が意味不明なやつは
自分たちより下の人間』

と思われたせいなのか、
もしくは他の理由があったのか、

1つ上の学年からバカにされたり、
無視をされたり、
目の前でヒソヒソ陰口を
言われ始めました。


それを"真似していいものだ"と
私が「嫌だ」と言わないのをいい事に、
同学年や1つ下の学年の子も
徐々にそれを真似していく。


向こうからは話しかけない。
こちらから話した時には決まって、
「そんな事も知らないの?」と
少しバカにして返答される。

これが、2~5年生ぐらいまで続きました。
主犯格の1つ上の学年が卒業していなくなると、
自然となくなった感じでした。

"親に言ってもどうせ酷くなるだけ"
と最初から諦めていた私。
最後まで誰にも相談しませんでした。


「みんなは私の事が嫌い」
そう思っていました。

本当かどうかは分からない。
でも、本当に嫌われてたらと、
怖くて聞けない。

そのせいで、
人にはっきりと何かを言えず、
周りから縮こまっていました。

とりあえず学校には、行かなきゃ行けない。
親が何か勘づいちゃいけないと思って行く。
でも、他の人とは関わりたくないから、
休み時間は図書室か保健室。


なので、ほとんど小学校の時の
記憶や思い出がほとんどありません。

修学旅行には行きましたが、
"しょうがなく"同じ班になってあげた
という皆の雰囲気しか覚えていません。

他にも、田舎でありがちな
隣近所の異常な心の近さ。
ずかずかと人の心に土足で入ってくる。
これが本当に嫌でした

1人で散歩していれば
近所のおばあちゃんが
「どこ行くの?」「何してるの?」

場所や言動をこちらが言うまで、
ずっと聞いてくる。
子供が1人で、、ということへの心配がある
ということはもちろん承知していました。

でも、何もかも”監視”されている、
何もかも”把握”しないと気が済まない
プライベートなんてないに等しい。

子供ながらにこの狭い田舎社会が
嫌で、嫌でたまりませんでした。

《中学生》


中学生は小学校と同じメンバーでしたが、
複数の小学校が混ざるので、
入学しても上級生からの
イジメはありませんでした。

でも、覚えているのが、
修学旅行のホテルの部屋割り決め。
先生から自分たちで自由に
組んでくれと言われ集まった時。

「誰と一緒でもいいよ」と、
空気を読んだつもりで、
仲いい子同士を先に決めさせてあげようと
思ってしたこの発言。

続々と決まっていく中、
誰も私の名前を呼ばずに決まっていき、
結局私1人が残ってしまった。


誰かが冗談で言う
『余り物じゃーんww』
『じゃぁ、ジャンケンで負けた所
いれてあげる?w』

その時から15年以上たった今でも
鮮明に覚えているぐらい
心の深い深いところまで
この言葉は刺さりました。

私はこんな扱いなのか。
何もした覚えがないのに、
いつまでこんな扱いを受け続けるのか。

涙目になりながらも、
必死にこらえて、おどけてみせる。




私「えーwちょっと、余ったじゃーん!
ちょっと誰か入れてよーw」


この気持ちを誰にも悟られないよう、
涙目すらバレないよう
必死に道化を演じました。

この修学旅行も、
案の定記憶はほぼありません。

《高校生》

今までの事があったので、
もちろん高校は今までの同級生が
ほぼいない学校を選びました。

高校入学してからは、
いじめていた人たちがいないので、
のびのびとした楽しい学校生活を
送っていました。


でも、3年になったある頃、
よくある女子グループ内のいざこざが発生。

理由は些細なことすぎて、
正直、どんな理由だったか覚えていません。
それぐらい些細なことでした。

私が目の前にいても、
私の事をわかりやすく内緒話。
目が合うと目を意識的に背けられる。

それは、私を標的にしているのか、
はたまた、隣の子にしてるのか、
周りからは分からないように
進行していきました。

私は決まって”聞こえないフリ”をする。


私の陰口を言う人に
直接文句を言う勇気なんか持ってなくて、
事を大きくして、
学校の中で“独り”になりたくなくて

余計なイザコザを増やしたくなくて、
ただ残りの日々を平和に過ごしたかった。

“今まで通りこれが終わるまで、
自分が我慢をすれば大丈夫”


何度自分に言い聞かせたか、
正直わかりません。


今思うと本当に”自己犠牲のし過ぎ”


まだ"学校=社会"だったこの頃の私には、
「自分が我慢して大ごとにしない方がいい」と
こういう考えしか出来ませんでした。


その時はただ単に
”私が"人付き合いが絶望的な人なんだ。

自分がダメだから、おかしいだから、
他の人が何か言わなきゃいけないんだ。
小学校からのいじめも自分が原因だ。
私がダメなんだ。


本当にそう考えていました。

《社会人 新卒》

親には行きたい専門学校を反対され、
高校卒業後は就職を選択。

学校という絶望した世界から
ようやく抜け出せる!と
社会に希望を持ち就職した18歳。

でも、蓋を開ければ、
ブラック企業。


サビ残がデフォルト、1日15時間勤務。
休日でも丸々1日休める日なんてない。
職場では、各部署同士の派閥に板挟み、
1ヶ月以上の連続勤務。


自分の二回り、それ以上年の離れた
いわゆるお局様。

自分の機嫌が悪いと人に当たる。
忙しくなるとさらに当たられる。

でも、仕事だから話さないといけない。
でも、話したくない。
近づきたくない。
でも、話さなきゃいけない。

それによって、
空気を必要以上に読んでしまう。

今の機嫌が悪くないかビクビクする。
こんな毎日が続きました。


そんな事が約2年続いたある日。

心身ともに疲れ果て、
限界は突然やってきました

仕事は接客業でしたが、
その日出社すると、
お客様と対面出来なくなりました。

出来なくなったのは、
上司から「フロアに出るな」と
言われたわけではありません。

自分でもわかりませんが、
突然お客様が怖くなったんです。

カウンター越しでも、怖い。
上手く会話ができない。
近づけない。


『ただ単に、人が怖い』


それまでにお客様からクレーム等で、
怒られたりしたわけではないんです。


『人が怖い』という初めての感情に、
人を、お客様を、そんな風に思っている
という自分にも怯えました。


接客業なのにこんな事思ってはダメだと、
そう自分に言い聞かせても、
自分では気づいていない限界がきていました。

母には「うつ病かな?」
と言われ、精神科にも行きました。
(私の直属の上司もその上の上司のせいで、
うつ病になった為)

でも、病院の先生には、
『今は鬱ではないよ。
でも、今の激務が原因のひとつだね(略)

今の精神状態が続くと鬱病になる
可能性は上がるよ。

他にも、感じ取りやすい"性格”なのかな?
色々気づいてしまって

心が疲れやすいんだろうね(要約)』
と言われました。


結果として、この職場から
退職はできました。

でも、「退職したい」と
上司に相談し実際に退職できるまでは
約3ヶ月かかりました。


3ヶ月間「人が怖い状態」が
ずっと続きました。
辞める直前は毎日市販の胃薬と、
痛み止めを飲んで出勤してました。

《社会人 再就職》


その後、アルバイトをしながら、
仕事を探し、某大手通信会社に転職。

ここでもやはり、
御局店長の機嫌を気にしながら
仕事をしていました。

少しでもその人の不機嫌を察知すると
自分自身を消すように小さくなったり、
その人の視界に入らないようにしてました。

たまに理不尽なクレームも、
必要以上に吸収していまい、
涙する事もありました。


そんな頃、当時の彼氏と
付き合って半年でデキ婚。

妊娠中でつわりもひどく、
元々嗅覚も鋭いのが余計に匂いでやられ、
勤務中も常に気持ち悪い状態が続き、
仕事も休みがちになりました。

でも、そんな事で仕事を休むのを
もちろん店長は許しません。
「あなたの休みは誰が埋めるの?」
「妊娠は病気じゃないんだよ?」

産休に入るまでずっどそんな言葉を
言われ続け、産後すぐに
この会社も退職届を出しました。


《1人目を出産後》


1人目の子育ては何もかも初めて。
夜の授乳中も旦那は子供が泣いても起きない。
元々ロングスリーパーなのに、
寝れない日々が続く。

(繊細さんは情報処理の為
人より睡眠時間を長くとる人が多く、
ロングスリーパーの人が多いです)

不安から検索魔になって、
子供の「出来てない」ことに目がいき
余計に苦しくなったり、
イライラしてしまったり。


旦那も残業で遅い毎日。
ほぼ1人で何もかもこなす日々。

初めての育児。
1人で家事も育児も完璧にするなんて、
上手くいくはずありませんでした。

寝不足で旦那にイライラを当たる日々。
そして、罪悪感でいっぱい。
その罪悪感を埋める為にお菓子の過食。
また、過食した事に罪悪感。

その繰り返しでした。

《初めてのHSP診断編》


2人目を産んでから1年経たないぐらい、
ネットで偶然目にした「HSP診断」
やってみると結果は中程度

何かの間違いじゃ?
私なんかが繊細さんじゃないよ、、

だって、
「悩みなんてないでしょ?」
「脳天気でいいよね(笑」
いつもそう言われていた。

小学校時代から、
「繊細とは真逆だよね」
そう言われてた。

きっと、この診断は間違ってる。
自分は違う。
みんなから「ガサツ」って言われるから、、

だから、違うんだ。
私が繊細なんて何かの間違いだ

この時は、そう思い込んで、
何も自分で変わろうとせず
周りがこう言うから"私は違う"と
結果を信じずにいました。


それから3人目を出産し、
ブログやTwitterを始める1年前に、
また目にした『HSP診断』

どっかで聞いた事あるような、、?
と、また興味本位で診断をしてみると、
見事に当てはまり結果はHSP確定!

そういえば、何年か前にもネットで
診断をして当てはまってたけど、
結果を信じずにスルーしてたなぁ。
と思い出しました。


それと同時に、10年以上前の記憶が蘇り、
精神科の先生の話はこれだったのかと。
感じ取りやすいのは"性格"じゃなくて、
"そういう気質"だったんだと。

これまでの記憶がよみがえり、
全てが繋がった気がしました。

まるで、長年無くしていたパズルの
最後のピースが部屋の隅っこからでてきて、
1枚の絵がようやく完成したような
清々しい気持ちが湧いてきました。

 『幼少期からずっと、
考え過ぎて行動に移せなかったり、
他の人の機嫌が必要以上に
気になったりするのは、

気質のせいだったんだ
とその時初めて、腑に落ちました。

《繊細さんと分かってから》



私はさっき述べたように、
自分がHSPという事に気づいても
考え方や行動が、
すぐに良くなったわけじゃありません。

正直HSPとわかっていても、
"変わらないといけない"という
漠然としたものはあるけど、

どう行動したら改善するのかわからなくて、
結局日々もがいてました。

やみくもに、"図太く""強く"なれば、
非繊細さんと同じになれる
思って行動してみても違って、
余計に苦しくなりました。


結局、変わる方法も知らなければ、
ちゃんと繊細さんの基質を
理解できてなかった
んです。

HSPって結局何なんだ?と思い、
『ある1冊の本』を購入。


驚くことに、
この本を読み進めると、
心がふっと軽くなりました

この本を読んで、
ようやく繊細さんの気質が
自分なりに理解できました。

これも、嘘みたいな本当の話です。
たった1冊の本に救われるなんて、
自分でも本当に驚きました。


それから他にも自分で調べたりしていくうちに、
『自分の心に素直になろう』
と思えるようになりました。


徐々にそこから考え方や行動も変わり、
自分で意識して行動していくことで、
自分の心も生き方もどんどん楽に
なっていきました。


ちゃんと気質が理解できた後は、
気持ちが落ちすぎる事がなくなり、
周りの人の機嫌を伺う事も少なくなり、
以前より笑顔で生きやすくなりました


そして、私は同じ繊細さんが、
同じ育児や家事、仕事で頑張ってる繊細さんが、
・同じ苦しい思いをして欲しくない!

パートで時給以上の給料が見込めない私が、
・社会から脱出して“自分で”稼ぐため

この2つの理由で、
ブログやTwitterを始めました。


そして、最初に述べたように、
初月でなんと、
収益3桁を達成する事ができました!

2022年1月は初めて、
4桁の収入になりました!


《さいごに》


私が、HSPとわかってから、
ちゃんと自分が向き合って
理解できるまで、
かなりの時間と年数がかかり、

“気質”が理解できていないまま
ずっと過ごしていました。


私はブログを始めた理由でもあったように、
同じHSPの方に
同じ辛い思いはして欲しくないです。

“気質”と分からないまま、
振り回されながら過ごすより、

ストレス社会に埋もれてしまい
自信を無くしてしまうより、

自己肯定感がどんどん低くなり、
自分自身を認めてあげることさえできず、
暗く狭い明かりもないトンネルから
出られなくなる前に、、


このnoteをみているあなたが、


・HSPで悩んでいるのは1人じゃないんだ!

・同じ人がいるってわかって、
少しだけど気持ちが楽になった!

・自分を大切にする、
自分の心を聞くってこういう事なのか!

・こういう風にしたら
無理に人に気を使わなくて済むのか!

・こうすると必要以上に
相手に気を使わなくていいのか!

・こうすれぱストレスフリーで
収入を得れるのか!

・会社で感じていたストレスを
感じなくなったのは、これのおかげか!

・だから、楽に生活できるのか!


などと感じて頂ければ幸いです🌸


とはいえ、私自身もまだまだ勉強中です!
安定した収益化目指して今頑張っています😆
あなたも一緒に頑張っていきましょう!


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