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握りしめていたものは

「恥ずかしい」「みっともない」
「ちゃんとしないさい」「いい子にしなさい」「うちの孫は●●で〜(自慢)」
世間体を気にする祖母に日常言われ続けた言葉達を幼い頃から浴びてきた私は、目立たない、嫌われない、怒られない様に振る舞う様になった。

小学生あるあるであろう、バイ菌扱いで
班の机を引っ付けてもらえなかったり、ちょっと服が触れた手が当たっただけで「うわぁ、汚い」って他の人に擦りつける動作をされたり、悪口も言われた。

中学高校時代も相手に合わせたら嫌われない。と思って話を合わせたりしてた事で逆に仲間外れになったり、言われっぱなしで言い返せず我慢する日常だった。

学校も家も自分が休まる場所は無かった。
誰も助けてくれなかった。
「私[なんか]存在していいのか」
自分の存在価値を見出すために自分を犠牲にして人に尽くす様になっていった。

そのおかげで
「千花ちゃんありがとう」
「千花ちゃんがいたから良かった」
そう言ってもらえる様になり
[この人に必要って思われた]と実感出来る様になった。

最初の頃はそれで満足をしていたけれど
人間は欲深いと言うか…言われた時は満たされるけど、すぐに[私[なんか]]と言う
思考が芽生えてくる。

この[私[なんか]]の思考は非常に厄介な思考である。
自分から出てくる(こうしたい)例えば、オシャレしたい。と思ったとしても「私[なんか]がオシャレしても恥ずかしい。目立ちたくない」と思い行動を止める。
自分自身から出てくる想いを自分自身が止めている事になる。
それに気づかないでいると「どうしたい」も
浮かばなくなってくる。
そして「何したい?」「どう思ってる?」
「どう生きたい?」質問されたとしても答えが出てこなくなる。

人生は選択の連続で今に至っている訳だけども、「●●が言ったから」って他人の言った言葉を選択して生きる様になる。そして何か不具合があったら●●のせいにして相手を責める。でも、実際は、言ったのは●●かもしれないけれど、それを決めたのは自分自身である。それにも気づかない、「私[なんか]」思考の脅威な所でもある。

客観的にこの話を聞いたら「こうしたらいいんじゃない」ってアドバイスは言える。
たぶん、当事者も、言ってくれている事は
理解出来るだろうけどなかなか行動には
結びつかないであろう。

「[なんか]と言う思考を持つ事で自分自身が得している事があるんだろうね」
結構言われた回数多いアドバイスの1つである。シンドイって自分自身が感じているのに自分自身が得している事があるって、正直言って意味がわからなかった。
自分と向き合ってみても答えは出る事は無かった。

私は、頑張っている人や感動するお話を
観たり聴いたりするとすぐ涙が出てしまいます。

「脱出島」に元乃木坂46の秋元真夏さんが出演しているのを観ました。彼女は乃木坂46を卒業して一人で歩き出し、今回の脱出のテーマが[新しい一歩]
女の子が1人で火を起こしたり海に潜ったりしていて、私の年齢でも挑戦しても悪くないな、新しい一歩を踏み出す人達にパワーを貰ってくれたら嬉しい。と言う想いでやっていて、イカダも作り「イケる、大丈夫」と自分自身を励ましながら進んでいたけれど、無念のリタイアに。
「秀でるものがないから一生懸命努力するしかない」と言った言葉。

見始めから涙が出て、苦しくなったり、一生懸命「頑張れ」って応援したりして涙が止まらなくなった。

いつもなら[あーまた泣いちゃったわ]って
すぐ冷静になり涙を拭くけれど、この時は
[このまま涙を流し続けたらどうなるか]
ずっと涙を流し続けてみました。

そしたら出てくる出てくる。
「これしたい、あれしたい」の想いより
「私[なんか]」と言う思考が。

頑張っている人を見て
「凄い頑張ってる。私[なんか]無理」

新しい事始めた人を見て
「いいなぁ。私[なんか]無理」

でも、本当は、「これしたい、あれしたい」をやりたいと思っている自分が見えてきた。

その時に
頑張っている人と自分を重ねて自分もやった感を感じて満足している事に気づいた。
(本当買って本読んだ気になる。みたいな)

[なんか]を使う事で自分を抑えていたり
行動のやらない理由として使っていた。

そして「私[なんか]」を止める選択をした。
止める選択をしたとしても長年連れ添った
[なんか]がそう簡単に離れてくれる訳もない。否定しても居るものだから、[なんか]は自分の中にあるものとして生きていく様にした。

ある時、心が騒ついたので書き出してみた。
[目立ちたくない][人目が気になる]
[恥ずかしい]今までずっと持っていた想いだったが、それを見た私自身は
「自意識過剰やん」って自分に言っている事に気づいた。

そこから冒頭に書いた事などを思い返してみると、
例えば
私[なんか]目立ったらいけない

目立たなかったら人から怒られたない。
私[なんか]を使う事で自分自身を守っていたんだ。と言う事に気づいた。

何人もの人に言われてきた「[なんか]と言う思考を持つ事で自分に得がある」と言うアドバイスの答えが見つかった瞬間であった。

「私[なんか]」の思考が出来るきっかけが家族の言葉であり、この言葉が家族以外の学校や職場やプライベートにまで影響が出て今に至っているのは怖いなと思った。

もうこの言葉に縛られる必要性もない。
「私[なんか]、今までありがとう。バイバイ。」
















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