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価値のある・なしに、本当は区別なんてない。


みなさんは

『自分に価値がない』

と思った経験はありますか?


わたしは

めちゃくちゃあります 笑!


というか、

そう思って生きてきました。


冗談じゃなく、
本当に。


そのために、

『価値のない』自分
『価値』をつけようと、

本を読んだり、
資格を取ったり、
セミナーに参加したり、
周りの人から意見をもらったり、

自分が考えつく、
ありとあらゆる努力をしてきました。


けれども、

どんなに努力をしても、

どうしても
自分に『価値がある』とは思えません

でした。


友だちや周りの人

いつだって自分の先を歩いていて

自分
その人たちの足下にも及ばないほど

何もかもができなくて……。


虚しさがまさり、

ある時点から
無気力
になって、

死んだように生きていたのですが。


なぜ
それだけの努力をしながら、

自分に
『価値がある』と思えなかったのか。


その始まりの、

自分に『価値がない』という考え。


その始まりから

自分に『価値がない』と思っているから、

その上に

どんなに『価値』をのせても、

土台がひょいと顔を出せば
(というか、
『価値がない』はいつも頭にこびりついていた)

積み上げた『価値』はすぐに崩れていく。


自分には
『価値がない』と思い出してしまうから。


でも、


本当は

大前提として

この世に
『価値のない人間なんていないんだ』

と思うだけで良かったんだと

今なら感じます。


これは
別に綺麗事を言っているわけではなく、

本当にそう思うから


もっと言えば、

この世に
『価値のないものは存在せず、

すべての存在は価値があるからこそ、
この世に存在する』

のだろう、

と考えるからです。

嫌だな、
という人がいたとしても、

それは
自分から見るからで、

他の誰かから見ればとても良い人
かもしれません。


この雑草は邪魔だな、
と自分が感じていても、

それが
土の栄養になって他の植物が育つ補助をしている
のかもしれません。


にだって、にだって

自分が見えていないだけで
この世に役割がある

とわたしは思います。



また、

その役割を終えたとき、

なら
身体の寿命を迎えて息を引き取っていく。

モノなら
その形を失って土へ還っていく。


けれど、


その人の存在
見えなくなっただけで、

その人の血や人生の歩みは
残された人に刻まれていく。


そのモノの存在
見えなくなっただけで、

そのモノが還っていた土から
違うモノが生み出されていく

のです。


『価値がない』ということを
マイナスに思うのではなく、

何となくですが、

わたしは
『価値がない=役目を終えた』

という意味合いで
思うえるようになりました。


役割を終えたからこそ、

役割という『価値』を手放して、

土に還ってく。


だから、


この世に存在している
人も含めたすべてのモノは

『価値がある』からこそ
存在している。


そして、

その役割を終えたら、

その『価値』を手放して
土に還ってく。

そして、

新たなモノが
その土から生まれていく。


その循環
世の中が成り立っているから、

価値のある・なしに、本当は区別なんてない。


そう思うようになってからは、

自分に『価値がない』

とは思わなくなりました。


勿論、

即座に
まったくそう思わなくなった、

ということではありません。


ですが、


どんな人にも、どんなモノにも

存在するだけの『価値は必ずあるんだ』

という考えが

いろいろな経験を経て、

徐々に
自分に馴染んでいった感じ
でしょうか。


もし、

自分に『価値がない』という心の傷を抱えている方
がおられるのなら、


そもそも
今、あなたが存在している=『価値がある』

ということを伝えたい

です。


勿論、

この考え方を
選ぶも選ばないも、すべてはあなた次第。


願わくば、

あなたのこころが
少しでもゆるまっていきますように……。

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