見出し画像

くそやろうと「愛」。




こんにちは!
ちいです☻






なにを差し置いてもまず、
一番はじめにお話ししたいことがあります。

ひとつ前のちいがくそやろうだということを書いた記事に対して、本当にたくさんのみなさんからたくさんの言葉をいただきました。
本当に想像していなかったので、
とても驚いています。
直接メッセージを飛ばしてくださった方もいました。


本当に正直にお伝えすると、
とても驚いたのですが、もっと近い感覚で言うと、
「なんで、??」
の方が近いです。
どうしてですか、と
お一人お一人に聞きたいほどです。
このくそやろうにそんなあたたかい言葉をかけてくださる方の気持ちが、ちいには今はわかりません。

これは日常の中でもとてもよくあって、
褒められても、守られても、
助けられても好いてもらっても、
ありがとうよりも先に「なんで?どうして??」と言う気持ちが先に来てしまうんです。
これは前に記事に書いたこともあります。

つまりこれはまたひとつ、
ちいのくそな部分であって、
そしてその中でもかなり根深いものの一つであるとおもいます。
ものすごく前からある感覚なので、




そんなことはよくて、
たくさんの言葉を、というかまずたくさんの方がちいの記事を読んでくださって、しかもコメントしようとおもってくださって、
それぞれの感じたことや想いを教えてくださって、
もうどうしたらいいのでしょう。
本当に本当にありがとうございます。


正直まだうつ明けの危うい時期にいて、
(記事をかき始めてから日が経っていますが、)
もらった言葉に対してお返事をするかどうかを、はじめは迷っていて。
もちろん最初からじぶんもお返事することで気持ちを伝えたい!返したい!とおもっていたのですが、
あまりにここで気持ちを込めすぎると逆に躁状態に入りがちで、
せっかくみなさんから気持ちをいただいたのにそれをうおおおおおおおと今すぐ燃やしてしまって、その後灰になったらそれこそ申し訳なさすぎるしもったいなさすぎるな、と考えたためです。


だけど、どうしても返したかった。


あまりに嬉しすぎたので、
「なんで??」は
一回封印しました。(口には出てました)
なんでを超えたところのちいの気持ちを返させていただきました。



正直にいうと、
(て何回言うねんいつも正直にせい)
躁鬱的に言ったら人と会うのはあまり向いてないらしいです。
えーーーーーーーーーっておもいました。
だって人と会うの大好きだとおもっていたのに、、!
もちろん、
躁鬱的にと言っても一概には言えません。
人間はそれぞれあまりにも違います。
だけど、確かに
ちいの躁鬱の大師匠である坂口恭平さんの言うように、
「人に会うとそのあと必ずうつになる」
という傾向は、とても最近気づいたことですが
本当に本当に残念ながらちいにもあります。



でも、今回ちいは
今までいろんな場所で出逢ってきたみなさんの言葉たちにとても大きな力をいただきました。
これはやっぱり今まで皆さんに出逢ってきたからこそ起こったことであって、ただ生きているだけでは起こり得ないことです。


「また会いたい」とおもう人たちがいて、
「また会いたい」と言ってくれる人たちがいて、
じぶんはつくづくラッキーなくそやろうです。
こんなにくそやろうなのに、周りにいる人は全然くそやろうじゃありません。
みなさん本当にありがとうございます。



------------------------------------------


さて、
あの記事をあげた次の日、
ちいは田んぼへ行っておりました!
長野は今もっぱら田植えのシーズンです。

今回は、同じシェアハウスに住んでいる、
日本酒の杜氏をしているシェアメイトのお手伝いで田植えに参加させてもらってきました。
(うちのシェアハウスには多種多様な人種が集まっております)
実は、長野県出身で母方の実家は米農家だったちいも、田植えの体験は初めてでした。
昔はよく、
稲刈りの時に駆り出されていましたが、
今はその稲刈りも、田植えも、
専用の機械があるので人の手はそんなに必要ではなくなりました。


でもあの
田んぼでみんなで食べるおにぎりとお漬物が、
おいっしいんですよねーーーーーー
なんなんだろうかあれ。
いまだにくっきりと記憶に残っているのは、
力仕事の大変さでも疲れてへとへとになったことでもなくて、
土まみれになって汚れた手で食べた(洗え)、
ふつうの塩おにぎりとふつうの野沢菜漬けの
とんでもないおいしさです。
それだけで、
さっきまで「もうくるもんか」と思っていたのに
「来年も稲刈りしたい」と思ってしまうほど。




すこし話がそれてしまいましたが、
ちいがフリーランスとして普段している仕事
Matterportというアメリカの企業の、特殊なカメラを使って行う室内の3DVR画像撮影(なんだかメカメカしていますが簡単にいうとGoogleストリートビューの室内バージョンです。)に加えて、
酒蔵の仕事のお手伝いやそのほかにも、
実際に手を動かす種類の労働を追加して、
「お金を稼いでいる」という状態を増やしていくつもりです。

3Dの事業だってちゃんとやればもちろんとても可能性のある事業なのですが、「じぶんやじぶんのつくったもの、やったことを売るのが苦手すぎる」という部分だけで全く進めずにおりました。
というのもまた、
「お金をきちんとつくる」ということから逃げているちいのくそ部分になります。
逃げるな。

そこでの収益化とも向き合ってゆきます。
最近知り合った方で商業施設中心の建設会社で働いている方がいて、何件か案件をいただけそうなので、頑張ります。
地域の商工会議所にも相談中です。(田舎の商工会議所は本当に強い)
どちらもパートナーのあゆちゃんが繋いでくれたご縁です。
本当に頭が上がりません、、、
いつもありがとう。

これから動きをまた共有できるはずですので、
何か動いたことや決まったことがあったらそれも書いていきます。
動けば、かくことがあります。
動かなくてもなにかしらあるような人生ではありますが、ちゃんとかくことがある人生にしていきます。



--------------------------------------


ちいがくそやろうであるという記事は、
今住んでいるシェアハウスのシェアメイトにもシェアしました。
ちいの躁鬱の波やくそやろう部分に影響を受けてしまいやすい存在なので、
少しこわいけど、読んでほしくて。
色々な関わり方があるシェアハウスなのですが、
今回は今住んでいる住人のみのLINEグループに共有しました。
みんな読んでくれて、
むしろちいがシェアする前から読んでくれていたシェアメイトも何人かいました。
「読んだよ〜」と。
それに対して何か話すわけではないけれど、
ただただ受け止めてくれる。
そんなひとが10数人も集まったお家です。

前に書いた躁鬱についての記事も、
同じグループにシェアしたのですが、
そのときも、
それについてあえて何か聞かれるわけではないけれど、
ちいが今躁なのか鬱なのか、どんな気分なのか
じぶんからシェアできる環境になってくれています。

ちいがうつ状態の時、
ボソボソとじぶんに対する不満を言うときも
そうかそうかと聞いてくれて、
「そうだとしてもちいはちいだよ〜〜」
と、
誰もが言ってくれます。
大抵の場合ちい自身ではそれでは納得いかない状態なのですが、
ふとした時にその存在の大きさにいつもいつも助けられています。



以前、じぶんの姉に、
躁鬱の記事をシェアしたことがありました。
(姉は近くの村に住んでいて(村)、去年生まれためいっこがいるのでちいもよく会いにいきます。)
直接話しているときに躁鬱の話になり、
その場では記事をシェアしただけでした。

後日記事を読んだ姉からメッセージが届いて、
結構長めの文章だったのですが
記事を読んで、
泣いたと言っていました。
自分が今までちいに言ったことや、理解できていなかったこと、思ったことを思い出して、後悔したと言っていました。
同じ血を分けた姉妹で、育った環境は同じ。
だけど違いがありすぎて、わからなすぎて、
たくさん誤解していた、と。

そんなこと言われるとおもっていなくて、とても驚きました。
ちい自身が全くじぶんのことを理解できていなくて、家族のことも理解できていなかったので、家族がわからなかったのは当たり前です。
「なんでわかってくれないんだ」と、
ひどいことを言ったりやったり思ったりしていたのは、ちいの方です。
何度も何度も、
ちいがいなければもっと上手くいくのに、
ちいがいなければもっともっと喧嘩は少ないし、
みんないいひとなのに
ちいがいるからこの家族は大変なんだと思ったし、実際そうでした。
血が繋がっている家族だからって気が合うわけじゃないし、合わないのに無理に一緒にいることなんてない。
仲良くもないのに仲良いふりをすることもないし、ちいだけがおかしいのだからちいが離れればいいんだと、本気で思っていて、
家族と離れていた時期も長くありました。



父と母にはまだ躁鬱のことも話せていないし、
記事を読んでもらったこともありません。
ふたりには本当に、
小さいころから迷惑をかけ続けてきました。
特に小5あたりから、
おそらく反抗期とも相まって躁鬱が過激化して、
ほとんど反抗期のなかった姉の100倍くらいの反抗っぷりだったと思います。
その時期からおそらく家の「外」と「中」という世界の違いを、躁鬱に当てはめて、
外では躁状態、中では鬱状態(しかも常に過激派)というとんでもなく波の大きな生活を作ってしまっていました。
その波の影響を一番大きく受けていたのは間違いなく家族で、
外でのちいの評判と家の中でのちいの激しさの違いに、戸惑ったに違いありません。
両親は特に、
ちいのことでたくさん困ったり傷ついたりしただろうなあと、その自覚がめちゃくちゃあるので、
時間を作ってちゃんと話せたらとおもっています。


パートナーのあゆちゃんがよく言います。
ちいのままはどれだけ大変だったのか、って。笑
本当に尊敬する!!!ってよく言っています。
母はあゆちゃんに、
「もうバトンは渡したからね!!よろしくね!!!」
と言っていました笑
「えーーーーーーー」
と言ったあゆちゃんと母は、
「ちいを育てる大変さ」、について
よく二人で話しています。



なんだか想定していた記事と全く違う内容になっていますが、もう少しかきますね。



あゆちゃんはちいのくそやろうの記事を読んで、
5箇所くらいで爆笑していました。
ちいはあの記事を、
時々涙をためながら書いたので、
どこで!?と言いながらその様子を見ていましたが、
あの記事をかく前にちいのことを「くそやろうだ」と言ってくれたのは、あゆちゃんです。
あゆちゃんがちいのことをくそやろうと言ってくれたことと、あの記事を読んで爆笑してくれたことが、どれだけ大きなことで、どれだけあゆちゃんという人間が偉大なひとなのかを、ちゃんと書き切る自信は全然ありませんが、

あゆちゃんは、間違いなくちいのくそやろうを
一番見てきたひとです。
今も見ています。
あの記事を書いてからもちいは休まずくそやろうをしています。
ちいがどんなくそやろうをしても
あゆちゃんはずっとちいの味方でいてくれました。
ずっと近くに一緒にいてくれました。
それは物理的にだなんて、
そんなものではなくて、
とても変な言い方ですが、
どんなにちいが、どれだけくそやろうをしても、
あゆちゃんはちいからはなれてくれませんでした。


もううすうす感じているかもしれませんが、
ちいはみなさんが思っているより7倍くらいはくそやろうだと思います。
これは間違いないです。
開示し始めたのなんて、ほんの一部も一部で、
ずっと何があっても味方でいてくれた人に向かって、ちいは
「ちいに味方なんていない。ちいは一人だ。」
と、何度も言いました。
あゆちゃんの椅子をぶっ壊す数日前のことです。



あゆちゃんは、
ちいに愛を教えてくれた人です。
こんなことを言うのは、しかも残すのはとても恥ずかしいですが、そんなちいの気持ちより、
ちいに愛を教えてくれたのは、間違いなくあゆちゃんでした。

あゆちゃんに出逢う前の、
時間を一緒に過ごすまえのちいは、
もっともっと深く
暗いところに
どうしようもなく独りで。
そこから出ようなんておもっても
考えついてもいなかったので、
というか
発想したこともないくらいにそれを諦めていました。

ちいと同じ人なんて、似た人なんていない。
どんなに誰かといても、ちいはひとりだし、
それを忘れてはいけない。
期待してはいけない。
忘れていてまたそれに気がついた時が、
一番さみしいからです。
そこからまた立ち直るのは、
つらく苦しいからです。

これが本当に本当に根深くて、
あんなに愛にあふれたお家でみんなと過ごしているのに、何度も何度も独りになることを繰り返していました。
今のシェアハウスに住み始めた2年半前は、
じぶんが躁鬱であることも、
ひとりじゃないことも知らなくて、
そしてなんとも不幸なことに
愛されていることさえ知りませんでした。
愛がなんなのか知らない、知りたいともおもっていないちいは
「愛されていることさえ」なんて感覚も
微塵もありませんでした。
強く、深く、
愛を教えてくれたシェアメイトには本当に感謝しかありません。


そして、
何度も何度も何度も何度も
ちいがその存在を、
ちいの中にあるそれを、
否定し続けて、拒否して、
やっと認めたかとおもったら
また否定して、
それをもう
何度も何度も何度も何度も
繰り返して、
それでも
何度も何度も何度も何度も何度も
何度でも、
ちいに愛を教え続けてくれたのが、
ちいをずっと諦めずにいてくれたのが、
あゆちゃんでした。

それをもう約2年半続けて、
一緒にいろんな人に、場所に出逢って、
それぞれはそれぞれでいろんなものと、
人と出逢って、
何度も時間をかけて話し合って、
何度もお互いを擦り合わせて、進んできて、
途中でちいの躁鬱がわかって、
それまでも、それからもずっとずっと
深く暗いところに落っこちつづけるちいを
引っ張り上げて、救ってくれて、
そんなに深くないよ。大丈夫だよ。
ここにいるよ。って
伝え続けてくれたのが、あゆちゃんです。

本当は深くなくても、ちいがそれを
深いと思い込めば思い込むほど、
引っ張り上げるあゆちゃんの負担はどんどん重くなって、
時々引っ張り込まれてしまって、
ふたりで穴の中で静かに話して、泣いたりして、
それでも一度も諦めずにちいを救い続けてくれたあゆちゃんに、
ちいは
「味方なんていない。ひとりだ。」
って言ったんです。
そんなあゆちゃんのものを投げて壊したんです。


それをされてあゆちゃんは、
ちいにくそやろうだぞって言って、
記事を読んで爆笑したんです。






----------------------------------------

あゆちゃんとシェアメイトから愛を教えてもらったちいは、
ここで初めて
家族からの愛に気づくことになります。
今まで、家族はみんなちいのことが嫌いだとおもっていました。
ちいがあまりに嫌なやつで、
いつもいつもひどいことばかり言って
家族の関係をぐしゃぐしゃにしてきたからです。
嫌われて当たり前だとおもったし、
あまりの感覚の違いに、合わないなあと
よくおもっていました。

だけど

愛を知ったちいは、
じぶんが周りの人やもののことを
とてもとても愛していることを知りました。
あゆちゃんも、
シェアメイトも、
周りの友達も、
山の綺麗さや空の青さ、
夜も星も月も風も
そして家族のことも。
どれもあまりに大切で、
ちいは絶対に失いたくありません。
守りたいものたちです。

今まで愛を知らなかったちいが、
どうしてこんなに何かを愛せるのだろうかと
不思議におもったことがありました。
急な変化すぎて、違和感を感じたのです。


だけどこれが実は、急ではなかった。
どんなにちいが暴れても、
父が、母が、姉が、妹が
ちいに愛をくれていたから、
いつの間にかちいの中は愛でいっぱいにあふれていて。

それに気づいていなかったちいは、
うまくそれを外に出せていなかったので、
ひたすらちいの中にたまりつづけて、
そしてその存在に気づいて、あふれたのでした。

ちいはちゃんと
あの愛であふれる家族の一員だったのです。

だから今ちいはあゆちゃんを、
シェアメイトを、友達を、周りの人を、自然を、
心から愛すことができているのだと
気づいて、とても納得しました。



ちいの家族の、
パートナーの、
シェアメイトの、
偉大さが、少しは伝わったでしょうか。
ひとり残らず全員のことを尊敬しています。






---------------------------------------




ちいのくそやろうが
前回の記事よりもはっきりと、
ぐろめに伝わっていると嬉しいです。



かき始めた時の記事と、
書こうとおもっていた内容と、
途中で考えていた構想と、
完成が
見事に全く違うのものになりました。




またかきます。
現在地の共有は、
一つの記事ではとてもかききれませんね。
いつもありがとうございます。

周りのみんな、
一人残さず全部のみなさんに最大の感謝を込めて。
愛しています!
心から。




ちいでした!☻




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?