ちいは「くそやろう」という話。
こんにちは。
ちいです☻
Facebookで「noteかきます!!」
と宣伝してから、すでに二週間以上が経過しているわけですけれども
あいかわらず下がったり、下がったりしておりました。
つい数日前まで結構などん底にいて、
今はそこから少しずつ斜め上方向に向かってうようよしております。
今回の底は結構深くて、
約2週間の頭の中の議題は
「ちいはなんのために生きているのか」
「ちいはこれから何をして生きていくのか」
「ちいに価値はあるのか」
「ちいのやりたいことって何?」
「何で人を幸せにしていくのか」
「そもそも誰かを幸せにするなんてちいにできるのか」
といったところで、
どん底にいたというくらいだからちいのこれらに対する答えは
『できるわけない』
『ちいに価値なんてあるわけない』
『生きている意味もない、わからない』
といった感じでした。
暗っ!!!!!!重い!!!!!!!!!
いろんなきっかけがあって落ちたわけですけれど、
本当にめんどうな性質なのですが、
ちいは上がったら上がった分だけ落ちるという性質を持っています。
いわゆる躁鬱というやつです。
それを言い訳にするわけでも、今回のどん底の理由に使いたいわけでもなくて、
ちいが今まで何度も落ちてきて、
そしてなぜなかなか上がってこれなかったのか、
そしてなぜまたどん底に落っこちてしまうのか。
その頻度が異常な時期も多々あり、
今回はその理由と、じぶん自身と強く向き合う期間でもあったので、
今まで隠してきた部分でもあるちいの圧倒的な弱さについて書いていきたいと思います。
(躁鬱についての記事はちいのnoteトップに固定してあります。もしも興味があったら。)
ほんとのことを言うと、
ちょっとこわいです!
きっとみなさんが想像しているちいではないちいがたくさんいます。
でもそりゃそうか。
もっとだれからでも叱ってもらえるように、
ほんとに包み隠さず書いていきます。
というか今のちいの段階で隠す必要があることなんて、ないんですよね。
覚悟が足りなかったのだと思います。
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まず、
この内容で記事をかこうとおもったきっかけとなった大きな出来事が一つあるのですが、
それが起こる前から、
[応援シロ=目的地ー現在地]
という西野さんが教えてくれた公式をもとに、
「ちいはもっともっとじぶんを開示する必要があるな」とおもっていて、
記事の内容をふわっと考えていました。
それもおそらくじぶんの弱さについてであったと思います。
それを書くのに当たって、
どこまで何を見せるのか(書くのか)、
それを考えている途中で今回の底に落っこちたわけですけれど、
大きな出来事、というのは、
じぶんの感情をコントロールできず、
うまく表現することも全くできず、
言葉や頭で解決できなくなり、
家の部屋の中にある椅子をぶん投げてぶっ壊しました。
しかもこれが、
じぶんのものではなくてパートナーのもの。
さらにそれだけでは飽き足らず、
なんの罪もないファンヒーターを何度も殴ってベッコベコにして、
収納の扉もひじてつして奥に引っ込んで開かないほどにして、
壁もへこんで
そして音信不通状態になり逃げました。
えーーーーーー
こわい!そしてださい!!!
感情を抑えきれずに物に当たるとか、子供かよ
しかも人のものに、です。
これが今回のちいのどん底の最後でした。
スマホの電源も切っていたので、本当に心配をかけました。
(音信不通になった日の夜中になんとか正気を取り戻してパートナーに連絡しました)
その椅子がパートナーのものかどうかはその時意識はしていなくて、たまたま手の届く場所にあったものだったのですが、
そんなことは全く関係なくて
当たり前ですが、
それが彼女にとって大きなショックになって、
変におもうかもしれませんがちい自身にとっても、
大切なひとの物に当たる、そして壊すというじぶんの行為が許せないものでもあり、ショックでもありました。
少しだけ先にお話しておくと、
躁鬱にはたくさんのやっかいポイントがあるのですが、
大きなやっかいポイントのひとつとして、
躁状態の時はうつ状態の時の記憶が、
うつ状態の時には躁状態の時の記憶がほとんどなくなってしまう、というものがあります。
「いや、そんなことあんのかよ」
とおもうのですが、
そんなことあるみたいで、ごめんなさい。
じぶんでも、
「そんなことあるかよ」とおもうし、
「それって甘えっていうんじゃねえかい」
とおもうのですが、これが本当で、
記憶がなくなる、までは言わなくてもほとんど思い出せない、
間違いなく感覚についてはどうしても戻ってこない、という感じです。
「一体どうやって今まで生きてきたのかわからない」
「どうしてあの時体が動いていたのかわからない」というような感覚です。
近い言葉で言うとやっぱり記憶がないみたいなことになると思います。
だから今、少しずつ復活しているちいでは、
うつ中のちいを正確に表現することはできません。
今だったら絶対に椅子をぶん投げたりしないし、壁を殴ろうとも思わない。
正確に、どうしてあの時椅子を投げたのか?
というのが、
ちいでもわからないというわけです。
でも、
他の人から見たらちいは一人だし
椅子を投げたちいも、
今記事を書いているちいも、
同じ人間で同じちいなわけです。
今は、
どん底から少し上がって、
うようよではありますが上昇傾向にはあるので、
実はこの時がとても貴重で、
躁でも鬱でもなく、
どちらの気持ちも記憶も少しずつ思い出せる
唯一冷静でいられている期間でもあります。
だから今記事を書けているのだと思います。
はっきりと強くみなさんに伝えたいことがあるのですが、
今のちいには絶対に近づかないほうがいいです。
これは確実にはっきりと言えます。
近づいたら、椅子を投げられるかもしれません。
大切なものを壊されるかもしれません。
心の無い言葉で傷つけられるかもしれません。
それは、
ちいが躁鬱だからではありません。
今回ちいが椅子を投げたからでもない。
ちいが、「じぶんの感情をじぶんでコントロールできない人間」だからです。
躁鬱の人はみんな感情に任せて物に当たったり暴言を吐いたりする、ということでは絶対にありません。
ちいがじぶんの感情をコントロールできないから、あの時椅子を投げたのです。
ちいも、うつ状態に入ったら必ず物に当たるわけではないし、
必ず人を傷つけるわけではないけれど、
今のちいはそれをする可能性があります。
みなさんが大切だから、
嫌なおもいをしてほしくないです。
嫌なおもいをさせたくもないです。
だから近づかないで欲しいです。
今のちいには。
全てが躁鬱のせいではないということを大前提に置いた上で、
ちいの元々の性格と躁鬱がうまくがしゃんとはまってしまって、
ちいが特にできないことがあります。
「お金のことを考えること」です。
次は躁状態の時の特徴なのですが、
躁鬱の躁状態の特徴の一つとして「お金を使い果たしてしまう」というのがあります。
これもそんなことあるかいなのですけれど、
あるんです。
しかも、お金があるわけじゃないんです。
「あると思い込んでいるお金を」使い果たしてしまいます。
つまり「お金がないのに、お金を使い果たしてしまう」というわけです。
聞いただけでやばいってわかります。
間違いなく一番近づいちゃいけない人です。
そろそろ聞いていて(読んでいて)嫌になりますよね。
お金って簡単じゃないから、誰もが頑張っているところです。
勉強をして、使い方を知って、たまに失敗しながら増やして正しく投資して、
そうやってみんなお金を使ってさまざまなことをしています。
とても大切な物です。
なのにそれを、
できないとか躁鬱だからとかなんとかいって
逃げてんじゃねえよってじぶんでも思います。
書いててイライラもします。
感情もお金も、
みんなじぶんで正しくコントロールして、
はじめは難しくてもだんだんできるようになって、それだって全部努力してやっているのに、
じぶんだけ躁鬱の特徴だから仕方がないなんて、そんなことあってたまるかです。
がっかりされた方もいるかもしれません。
みなさんに会いに行っている時は、ほとんどが躁状態だったはずなので、お金があるような振る舞いをしていたのではないかなと思います。
そこへ行くのにもお金を使っているはずだし、
ご飯を食べるにも、何かを観るにもお金はかかります。
クラウドファンディングをしている知り合いを見つけたら、かなりの確率で支援していると思います。
ひどい時は全然知らない人でも勝手に共感して支援してしまいます。
でもそのお金は、ないお金です。
誰が困るのかというと、
パートナーや家族など、本当に身近にいる、一番大切な人たちです。
躁鬱についての記事でも書いていますが、
ちいはじぶんの感情の波をひたすら隠して生きてきました。
とはいえ近くの友達にはもれていたこともあるかもしれませんが、
多分ほとんどの人たちには気づかれていなかったと思います。
こんなふうに記事にして出したり、周りの人に話すようになったのは、
じぶん自身で躁鬱を確信してからです。
それまではとにかく気分屋で、反抗期がいつまでも終わらないだめな人間だとおもっていました。
二重人格なのではないかとおもったこともあります。
今考えると、躁状態の時にはうつのときの記憶が、うつ状態の時には躁の時の記憶がないので、ある意味正しかったです。
そんな二重人格の両面を行き来する姿をぶつけられるのは、家族とパートナーでした。
今はシェアメイトもその存在にあたります。
学校や家の外で必死に隠した分、大きな波が彼らにぶつかります。
じぶんでやっておいて、どうしてこんなことをしてしまうのだろうと
じぶん自身も苦しかったです。
両親にはいまだに申し訳なくおもっていることもいくつもあります。
布団の中で何度も泣きました。
少し話が変わってしまいましたが、
今のちいは、
・じぶんの感情をコントロールできず、
物や人に当たる
・ないお金を使い果たして人に迷惑をかける
というとても危険な人間です。
さらに最も大きな問題が、
・そんなじぶん自身を受け入れようとせず、
直そうとしない
ここであると今回強く思いました。
躁鬱というのはうつ病の一種ではなくてひとつの人間の性質で、うつ病のように時間の経過や薬によって治ることはありません。
(実際うつ病も良くなるだけで治るということはあまりないのかもしれませんが、何かが起こって躁鬱になるのではなくて、生まれた時から躁鬱だった、という感じです。)
それなのにちいは、それに対してじぶんでなんの対応もしていませんでした。
嫌だ嫌いだ、生きている意味がない、価値がないと言いながら
そんなじぶんを変えようともしない。
お金がないことから目を背けて、あるものとして使い続ける。
それらのせいで人に悪い影響を与え続ける。
これがちいという人間の一番の問題であり、弱さであるとおもいました。
躁鬱の特徴に甘えて、じぶん自身を変える努力をしなかった。
こんな人間が、
『人に勇気と希望を与えられる人間になりたい』
とか言っているわけです。
、、、もうこわいですよね。
そんな人間から勇気と希望を与えられたくないし、いらないし、ていうか勇気と希望、感じられないですよね。
そんなこと言ってないでとりあえずじぶんのことどうにかしなよ。って、ちいでもおもいます。
そんな人間がへらへらみなさんと会っていたかとおもうと、心からあきれてしまうのではないかとおもいます。
隠していたこと、悲しいとおもう人もいるかもしれません。
がっかり、あきれてしまった心に、
追い打ちをかけるようなことをして、本当にごめんなさいなのですが、
それでも
本当に今のちいのままでは誰のことも幸せにできないし、わたしも苦しいよと、パートナーと話していて、
それでも、泣きながらちいがおもったのは、
言葉にしたのは
『勇気と希望を与えられる人になりたい』、
でした。
ちいは今までたくさんの人に勇気を、希望をもらってきました。
今ちいが生きているのは、大げさではなく本当にその人たちのおかげです。
やっぱりそれをちいはたくさんの人に届けたい。
じぶんの中だけにとどめておくにはもらいすぎているし、
何よりまだ何もしていない、
このまま終わるわけにはいきません。
もうそれは変わらないのだから、
だったらやることは山ほどあります。
じぶん自身をコントロールできるようにならなければいけません。
どうしようもなく動けない鬱のとき以外は、
じぶんから穴に落っこちている場合ではありません。
ちゃんとお金を稼ぐ必要があります。
どこにどんな資金が必要で、本当に大切な使い道がなんなのかは、ないのに使い続けてきたからわかります。
大切な人を大切にするために、
たくさんの人に勇気と希望を与えられるように、
ひとの幸せをつくれるようになるために、
星になるために
やらなければいけないことがあります。
ここにきてそこからやんのかよって感じなのですが、
そこがないから、土台がないから、
何をやったらいいのか、そこに何を立てればいいのか、どうやって生きていくのかがわからなかったんだとおもいます。
ここから猛スピードでじぶんをつくっていきます。
みなさんに次にお会いできるのは、少し先になるかもしれません。
だけど努力します。
はやく会いたいです。
いつ見ても、
いつまでも何もできないちいでごめんなさい。
いつも支えてくださって、
本当にありがとうございます。
本当にラッキーで人運のいい人間だとおもいます。
幸いちいはこの家で、一人ではないから、
さみしくて死ぬことはないとおもいます。
いつもありがとうございます。
最後まで読んでくださって、ありがとうございます。
みなさんに会える人間になれるよう
命をかけて努力をします。
止まるわけではないです!
ちゃんとじぶんを保てたら、文章も書けるはずなのでかきます。
歌も歌います。
ものづくりもたくさんするとおもいます。
こんなちいですけれど、
どうか、どうぞ
これからもよろしくお願いします。
レベルアップします!!
また会える日を楽しみにしております。
それでは、
ちいでした!!!!☻
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