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世界でひとつ

修繕をしていて、形も年代も傷も、まったく同じ、というものは、これまでありません。
 
また、その直し手が、器や傷にどんな印象を持ち、どんな風に直すか、どんな線を描き、
どんなボリュームで塗り、仕上げの微細な調整はどうするのか。
直し手の違いによっても、まったく同じ修繕の器というのは、世界中にひとつも存在しません。
 
たとえばすぐに買い直せる規格品のマグカップが、傷を得て、それに修繕が加えられたことで、
新たに「オリジナルになった!」と、むしろそこに楽しみを見出し、喜んで下さるお客様が
実際、多くいらっしゃいます。
 
何でも手間を省き、画一化して、合理性を求める現代社会において、ひとつの生き物である
人間は、もともと均一でも合理的でもなく、微妙なゆらぎをもった存在です。
 
全部じゃなくてもいい。たとえばお気に入りのマグカップだけ、とか、身の回りのどこか少しに、
画一化されず、規格化もされず、合理的でもない、世界でひとつの存在があることが、なんとなく、
ゆとりであったり、創造性であったり、豊かさを感じられるもとであったりします。
それは、今を生きるために、ときに大切な心の支えになる気がしています。
 
ただ「金継ぎされたから、オリジナル!」でいい、というわけではないと私は考えます。
金継ぎは、ほとんどの場合、修繕痕が残ります。
修繕痕を見る度に痛々しい気持ちになるのではなく、新たに加わった修繕が元の器の良さを引き立てる新しい景色となっているとき、初めて、お客様は、傷を得たことを改めて受容し、見慣れたその器と、新たに出会い直して下さり、世界でひとつの器として、迎え入れてくださいます。
 
そういった仕事ができるように、日々、自分の腕と眼を鍛え続けていきたいと思っています。

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