カルマを断ち切ると思ったけど・・・
さとうみつろうさんがよくいうことには、
人間の体のほとんどを占めている
ジャンクDNAを目覚めさせるには、
ご先祖様の名前を呼ぶのが一番効率がいいのではないかと。
父方の祖父母の名前を知らない私は、
せめて母方の祖父母の名前を呼ぼうと、
体のセルフケアをしながら呼びかけていた時期がある。
しかしその時に
なんとなくご縁を感じていたのは
父方の祖母の方で、
祖母から父に受け継がれた悲しみのようなものが、
自分の中に痛いほどあることを
ひしひしと感じていた。
どちらかというと母方の祖母は
容姿端麗で手に職を持った、
いわゆるできる女だったので、
私には少し遠い気がしていたわけだったし。
その父方の祖母と父の悲しみを痛いほど感じてから数年たった今、
俄然母方の祖母、
できる女から話しかけられている気がする。
私が母から感じた、
「等しく我が子に愛情をかけられない性」
を受け継いだ私は、
毒親を経て、
私のような思いを娘にさせたくない、
愛しているを信じてもらいたい、
という気持ちから、
このカルマを断ち切ってやるんだ!と、
できることをやってきた。
がしかし、
母とセルフケアや体操をやりながら、
母と祖母の悲話を聞くことになり、
今盛んに、できる女からメッセージをいろいろ受け取りながら
自分を見つめたり、
娘を見つめたりしていると、
切れないからカルマは受け継がれるんだな、
と思った。
だって類は友を呼んじゃうのがこの地球のルールだし。
どんなに先回りして、
娘に知識をつけたとしても、
その知識の使い方は、
ある程度の体験を伴わないと腑に落ちないし、
知識だけではそもそも豚に真珠状態なわけで、
役に立たない。
私が彼女に話して聞かせても、
雨の日に長靴を履かせるくらいなもので、
傘がなければ長靴だとしても水が入るし、
彼女は私の娘なだけあって、
避ければいいのに深い水たまりに決まってハマるのだ。
もうそのような人物なのだと
受け入れる以外方法はない。
水が入ったジュブジュブの長靴を
楽しめるようになればいいっていうことなんだなと、
楽しめないにしても、
それを悲劇に受け取りがちな視点を
もっとニュートラルにすればいいんだなってことが、
ようやっと、
本当にようやっと
実感を伴ってわかってきたわけだ。
この視点は
どの瞬間、
どの場面においても
必要なわけで、
自分を深い水たまりにはめるための自分トラップを
恐ろしいほど作ってしまう私にとって、
かなりハイレベルな筋トレのようなものだった。
でもそんな自分も、
全部が全部自作自演というわけではなく、
どうやらたくさん前世の傷の記憶を
身につけてきてしまったからなんだということも、
私の変態鍼灸師の姉が教えてくれた。
私は
「風が吹けば桶屋が儲かる」
という言葉が好きなわけだけれど、
私という人間の良し悪しとか、
思考とか嗜好とか視点とか言動は、
全部何かから起因していて、
そんなところから?
というところに繋がっており、
そんなことに?
という結果をもたらしたりする。
それはもう当たり前すぎて、
誰の責任とか問えないレベルなわけだけど、
だからと言って、
流されるだけだとさらに自分を見失う。
はっきりと私という人物はこの世に存在しており、
私は私しかいない、
これは揺るぎない事実なわけだから、
自分を押し殺してる場合じゃない。
本腰を入れて、
私を楽しまないと、
この世に生きている意味がないし、
世界貢献にはならない。
自分を責めない、
認める、
褒める、
優しくする、
という私のハードな筋トレは、
ついにここまできて、
ようやく大地に根を下ろした気分だ。
アメリカで暮らした時、
一緒に働くスタッフ全ての中に私を見て、
農場の野菜や虫、雑草にも私を見つけ、
山の草花や木や土の中にも私がいたことに、
たくさんの気づきや励まし、癒しをもらったけれど、
日本へ帰ってきて、
その気づきはさらに目に見えないものにまで広がったように思う。
日本てすごい国よね。
この国に生まれてよかったな、
というところまできた私。
全てのしがらみに感謝、感謝。
ありがたき幸せよ。