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通信制高校で人生が変わった日

1.解放の日

私が通信制高校に転校した日、それはまるで重荷を下ろしたかのような感覚だった。中学を卒業し、進学した全日制の高校は、私にとって苦痛の連続だった。教室の中で感じる息苦しさは、日に日に私の心を蝕んでいった。友人関係もうまくいかず、教師との距離も縮まらない。何より、毎日が同じリズムで繰り返されることに、私は耐えられなかった。朝早く起き、制服を着て、決められた時間に学校へ行く。その一連の流れが、私を次第に押しつぶしていった。

ある日、私は決心した。もうこのままではいけないと。母に相談し、思い切って通信制高校への転校を決めた。最初は不安もあった。通学がない、友達と直接顔を合わせる機会が少ない、その孤独に耐えられるだろうかと。しかし、実際に通信制高校に通い始めると、その不安は徐々に消えていった。何よりも、自分のペースで学べることが、私にとって大きな救いだった。

朝は、自分が起きたい時間に起きることができた。通学の必要がないので、余裕を持って一日を始めることができる。授業も、教科書を読み、自分で考えながら進める。そのプロセスが、私にとっては新鮮で、自由を感じさせるものだった。教室の閉鎖的な空間から解放された私は、まるで新しい世界に足を踏み入れたような気持ちだった。

孤独との対峙

通信制高校での生活が始まってからしばらく経つと、私は新たな問題に直面することになった。それは、孤独というものだった。通信制高校は、自分のペースで勉強できる反面、同級生と顔を合わせる機会が少ない。スクーリングの日に会うことはあっても、日常的に顔を合わせるわけではない。私は、ふとした瞬間に、深い孤独感に襲われることがあった。

しかし、その孤独の中で、私は初めて自分自身と向き合うことができた。全日制の高校に通っていた頃、私は友達との関係に悩み、周囲の目を気にしてばかりだった。友達にどう思われているか、教師にどう評価されているか、それが私の行動を決定していた。通信制高校に移ってからは、そうした外部のプレッシャーから解放され、ようやく自分の本当の気持ちに向き合うことができるようになった。

最初は、孤独に耐えられず、何度も泣いた。泣くことで、自分の心の中に溜まっていたものが少しずつ洗い流されていくような気がした。そして、私は次第にその孤独を受け入れ、自分の内面を見つめ直す時間として捉えるようになった。友達がいないということは、逆に言えば、誰の目も気にせず、自分らしくいられるということだった。

その結果、私は少しずつ自分自身を理解し始めた。何が好きで、何が嫌いなのか、どんなことに興味があるのか。全日制の高校にいた頃は、そんなことを考える余裕すらなかったが、通信制高校では自分自身を見つめ直す時間がたくさんあった。そして、孤独の中で培われた自己理解が、私を強くしていった。

自分を見つける旅

通信制高校での生活が続く中で、私は次第に自分の未来について考えるようになった。全日制の高校に通っていた頃は、ただ漠然と大学に進学し、就職するという道を思い描いていただけだった。しかし、通信制高校での自由な時間の中で、私は本当に自分が何をしたいのかを深く考えるようになった。

ある日、私は興味本位で始めた趣味に夢中になった。それは、絵を描くことだった。幼い頃から絵を描くのが好きだったが、学校生活の中でその時間を取ることはほとんどなかった。しかし、通信制高校に通い始めてからは、自分のペースで勉強ができるため、絵を描く時間が増えた。気がつけば、毎日のようにスケッチブックを開き、色鉛筆を手にしていた。

そのうち、私は絵を描くことがただの趣味ではなく、自分の進むべき道だと感じるようになった。美術の専門学校に進学し、将来はイラストレーターとして生きていきたいという強い思いが芽生えたのだ。通信制高校での自由な時間が、私に自分の本当の気持ちを見つけさせてくれた。

通信制高校に通って良かったと思うこと。それは、私に自由を与えてくれたことだ。自由な時間の中で、自分と向き合い、自分を見つける旅に出ることができた。その旅は、決して楽なものではなかったが、その過程で私は自分を理解し、成長することができた。もし、あのまま全日制の高校に通っていたら、きっと私は自分を見失い、ただ漠然とした未来に向かって進んでいただろう。

通信制高校は、私にとって自分を見つけるための道標となった。孤独と向き合いながらも、自分自身を知り、そして未来への希望を見出すことができた。通信制高校に通って、本当に良かったと、今は心から思っている。

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